砂と鉄

よく分からない備忘録たち

トコジラミの駆除をしたら引っ越ししていた話

ここ最近タイトルの件に追われていたため本当に忙しすぎて、オタク活動を控えたり、ストレスで体調が悪くなったりしていましたが、何とか一段落ついたためまとめます。
オタクがトコジラミ駆除をするとどうなるか? そして引っ越ししたらどうなるか? が気になる方の参考になれば幸いです。こんな特異な経緯に合致する方は滅多にいないとは思いますが。

※虫に関わる画像はありません。

※これは個人の体験に基づく文章です。害虫駆除のプロから見ると正しくない、不適切な行動があるかもしれません。

※これからトコジラミの駆除をしたい方は害虫駆除業者の方に連絡、ご質問ください。私は素人のため、確実に断言できる立場にいません。

 

何か気になることがありましたらコメントなどから質問を送ってください。この記事に追記、修正をします。

 

 

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『世界で戦うフィルムたち』と『12ヶ月のカイ』の感想

『世界で戦うフィルムたち』と『12ヶ月のカイ』の感想

※作品の内容について触れています。

 

 

 

 

『世界で戦うフィルムたち』

thenightbeforeupheaval.themedia.jp

『世界で戦うフィルムたち』は今年見たドキュメンタリーの中でも面白すぎて(お、終わってほしくない!)とつい思いました。
ドキュメンタリー作品はやっぱり好きというか、とても勉強になるのでいろいろ見ていきたいと改めて感じました。
内容は監督が様々な方にしっかりインタビューをしているところから、監督自身がコロナ禍において作品をどう広めるか?といった試行錯誤と映画祭に出したり、作品を売り出してくれる仲介人(この説明はあってないかもしれません。海外向けにいろいろしてくれる人?)を探したり、これから映画はどうやっていけば残っていくのかなど多視点で映画を説明してくれて熱量がすごかったです!
見ていて「こうやって私たちは映画を見れるのか、なるほど……」と感動しました。(個人的には香港映画、アクション映画で活躍されている谷垣監督のインタビューが聞けてよかったです。)

あと海外のコロナ禍の状況や映画祭の関係者を調べて、エクセルにまとめてどれに出して、どれに参加するか……の行動力がすごくて……見ていて頑張ってほしいけど休んでくれ〜と勝手な心配をしてしまいました。すごすぎる。人ってこんなにしっかり予定を立てていろんな人とコミュニケーションを取っていけるのかと自分にはない能力を目の当たりにして驚きました。
あと海外の映画祭での英語話者のアドバンテージとか、アジア人の少なさとかの映し方に如実に世界では日本人はマイノリティであり、英語が母語の方と比較すると不利なんだなとはっきり感じましたが、日本での映画を取り巻く環境への示唆がすごい!(小学生?)になりました。
(私は海外映画がかなり好きで、理由は日本で見ると字幕がつくからです。自分でも映画をいろんな条件で絞り込んでしまうのですが、いろんな人に映画を届けたり、制約を受けながらも頑張って作ろうとすると、どうしても最大公約数的な作品になってしまいがちなのかなと思います。海外でチャレンジ!という作品への投資より、自国でそこそこ売れてるジャンルでそこそこの品質で作る方が安定はしてますし……など考えました。)

英語でのコミュニケーションが苦手すぎて、英語が得意な誰かに外注すればいいや!と私は考えがちなため、監督が映画でのミーティングなどに参加しておられて自分でやろう!という心意気にすごい……!!!と思いました。

『カラテキル』『ドラゴン×マッハ!』を見てから映画が好きになりましたが、こういった作品を見て映画を取り巻く世界を少しでも知ることで、自分が映画を好きではなかったら知り得なかった世界を知られて本当によかったです!

 


『12ヶ月のカイ』

12monthsofkai.mutsukikameyama.com


2023年より3年後の未来が舞台ですが、いろいろ考えさせられるのとジャンルがはっきりとしていないためSFとして人間とはなにか?と人間の定義や人間は人間をどう認識するのか?と考察したり、異性愛者のパートナーを持てない・持ちにくい人々への差別などを描いた社会派の作品として見たり、未来に起こるかもしれないヒューマンドラマとして見たり、あるいはディストピアSFとして想像を膨らませてホラー、サスペンスとして見るのもありなのかもしれない?と感じました。
ちなみに、公式サイトではSFサスペンスとなっています。

個人的には、次のことを考えたりしました。


・すべてが「パーソナル・ケア・ヒューマノイド」の発展のために仕組まれた社会的実験?

こう考えたのは主人公キョウカが友人付き合いやプライベート以外の人間関係がほぼ見えてこない(予算の都合では...?とも思いますが)ため、キョウカとカイは記憶や体験を一部リセットしながらどうやって共存、あるいは人間がどのようにヒューマノイドを「人間(差別なく受け入れ、社会的制度としても組み込んでいく存在)」として受容していくかの過程を観察しているのでは?と考えたためです。
こう考えるとヒューマノイドの会社がキョウカとカイの間にできた子どもが産まれるまでのサポートや子どもをキョウカのもとから離したことにもある程度説明ができます。
(ここまでのサポートや子どもを親元から引き離せるのは、社会的実験としてキョウカの知らない範囲で管理されて情報制限とかされていれば可能そう?そうでなければ、通報とかSNSで拡散される危険性がありヒューマノイドの会社がするには結構危ない橋では?という妄想です。ただ、他の細かい描写などからこういう安易なSFホラーみたいなオチは無粋だよな〜とも思います。)
最後のキョウカがカイと名付ける場面で「12ヶ月の怪(ホラー)・回(n回目の試行)・戒」など妄想が膨らんで楽しいです。
またいつかはキョウカが周囲の差別や心ない言葉を乗り越えて(乗り越えさせる社会がおかしいのでは?)カイと新しい家庭が築ける未来があるかもしれないと妄想できるのは、わずかに救いかもしれません。
※新しい家庭と書きましたが、どんな家庭でも普通を決めずに多様な家庭を「普通の家庭」として受け入れられる社会がいつかあってほしいと考えています。


ヒューマノイドがパートナーではなくとも、人は意外と人間の価値をつけて、人間とみなすかみなさないかを決めているかもしれない。

ヒューマノイドとの間にできた子どもを出産することを決めたキョウカを「ヒューマノイドをパートナーに選んだ人」として考えたことです。
自分は無性愛者で性愛も恋愛も理解できないのですが、異性愛者でも同性愛者でも(もしくは、複数人に対して恋愛感情を持ちうる人々、対物性愛者など)の方が性愛・恋愛感情を含めてパートナーを持つという選択を選ぶのは素晴らしいことと認識しています。(これは自分ができないからであり、一方で性愛・恋愛感情を持てない無性愛者を卑下しているのでは?と危機感を持っている考えです。)
そのため、キョウカの意思も「おめでとう!作品舞台の社会制度や支援がどうなっているか知らないから安易におめでとうと言ってよかったのか分からないけれど……」と思いました。
他人は他人の意思を持って選択をしているのであれば、干渉や自分よ価値観を押しつけるのはよくないと考えてもいます。
ただ、作中でキョウカの友人たちや母……外野が結構口を挟むのがきつい!と感じました。
これは現在の日本がシングルマザーの支援とかしっかりできておらず、社会的な支援を受けにくいため母親が自立しにくく、結局貯金などの資産があるか、頼れる親族がいるか、に拠らざるを得ない実情を反映したものと私は考えました。(公的な支援でシングルマザーが余裕で自立できるくらいの社会だったら、この作品の表現が「他人に自分の価値を押しつけすぎ」となるのでは?と思います。今の日本はできていないため、「まあ……マイノリティとなる出産をするのなら危ないかもと口を挟む周囲の人がいるのも納得」という文脈で鑑賞者は読むのでは?と考えました。)

ただ、一番きついのは「カイがヒューマノイドではなく、キョウカと同性の女性・障がいを持つ人・海外の人・子どもを持てない異性だったら?」といういくつもの仮定に対しても、おそらくキョウカの周囲の人々は何も考えずに無意識の差別を込めた言葉を言ってしまうのだろう……と想像されることです。
特にカイをパートナーに、子どもを持つことに対して「未来はないんだよ」という言葉に、私は誰も性愛や恋愛の感情を持って愛せないし、子どももいらないと思っていることに「私は人間だけど、マジョリティからしたら『未来はない』人間で、マジョリティと同じ人間とはみなされてないんだろうな」と感じました。
うーん……あの、まず主語デカで自分の価値観を他人に押しつけるのはやめませんか?!特に出産などの人生における重要なイベントに関しては、と気になりました。個人が誰を好きになって、子どもを持ちたいかを決めるのは、未来があるかないかにつながるか分からないし決めつけていいものでもないし……隕石落ちたら人類はそもそも終了だし……どうして異性と恋愛して、性愛を持って、正常な子どもを正しいとして他人にその価値観を押しつけられるのか、私にはよく分かりませんでした。
でも、社会の大多数を占める人々が無邪気な差別と暴力でたくさん人を傷つけるのを見てきたので「主語の大きさや価値観の押しつけになっていないか、無知による差別的発言ではないかを考えた」うえで「他人を思いやる」のは難しいことなのでしょう……


・母の嘘は子育てへのコストに対する問題提起?

これ私は本当に分からなかったのですが、親族が病気になってコストがかかるから、異性愛者の間に産まれたというパターンから外れた子どもは中絶して親の治療に専念してほしいってこと……?と想像しました。
ここもキョウカが人間の男性をパートナーに選んでいれば母は嘘をついていなかったのでは?と絶望的な気持ちになります。


・キョウカの気持ちは応援したいが、理解はできない。
私は子どもを持ちたいとほぼ思ったことがない(過去は産める機能があるなら一応取っておくか程度で、今はいらねえ!全身サイボーグにしてもOKの価値観)のですが、子どもを産むのは命の危険もあるわけでキョウカの気持ちがうまく理解できなかったです。
でも、産みたいと本人が言うのなら応援するぞ!と思いました。自分には分からないけど、他人がしたいなら尊重したいと思いながら見ていました。
(ただこの点は、自分の育った環境と身近な人の関係で「結婚は必ずしも幸せにつながらないし、子どもの有無は必ず幸せにつながるわけではない」という思考がベースにあるのが原因な気もしています。)


『TITANE』と似ている部分はあるものの、テーマは全く違っていて興味深い。
ただ子どもの誕生に祝福、あるいは人間と車の間に子どもが産まれることに対してどこか神秘的(畏怖?)な雰囲気がある『TITANE』と生まれた子どもに仄暗い絶望感と後悔、未来への不安感が漂う『12ヶ月のカイ』と対照的で面白かったです。
特に『TITANE』は誕生後に抱き抱えられたられたにもかかわらず、『12ヶ月のカイ』はキョウカには床に叩きつけられかけ抱きしめてくれるのカイというところが差別というか、キョウカも産まれた子どもを人間とみなして愛せなかったのでは?と苦しくなりました。(『光をみつける ヴァイオリニスト穴澤雄介からのメッセージ』を見て、障害や自分が持っている性質を親にあたる保護者に受け入れられないのは本当に辛いというか、親でさえも産んだ子どもを差別するのだと痛感しました。)(私も無性愛者であることを身内に理解してもらうまで、いろいろありました……なので、受け入れられない側の気持ちも分かります。)


・カイがキョウカの幸福がどうすれば叶えられるか、細かく分けていって可能な選択肢を提示するのが優しいと思いました。

引っ越しをする場面などですが、こういう合理的で現実を分析したうえで自分たちが取り得る選択肢を提示してくれるのは分かりやすく、優しいと私は感じるのかと改めて気がつきました。

 

 

・人間とは何なのか?という自分がずっと考えていることへ新しい考えが入ってきた。

人間とは何なのか?をずっと考えているのですが、人間は理性があることだったり、感情があり人間性があることだったり、時代や価値観によっても左右されます。

ただ、人間として生きるには社会で人として認められて、社会で生きられるのが必要では?と新しく考えるようになりました。機械であれ、クローンであれ、社会で問題なく人間として認めて共存できれば人間では?ということです。(そういった時代がきたときは、また人間について新しい価値観ができて区別されるのかもしれませんが)

そう思うと、社会が様々な人や物を受け入れて共存できるようになれば人間の定義も変化して、いろいろと生きやすくなるのかなと少しだけ希望が持てる気がします。

 

 

日記

某劇場で監督さんがフライヤーを配っているのに、「結構です」と反射で断ってしまい申し訳ありませんでした。(フライヤーを貯め込みすぎるのと、無料でもあまり物をもらわないようにしているせいで……)
ただ、初対面の私が挙動不審になりながらも声をかけさせていただいたところ、快く応じていただき『世界で戦うフィルムたち』の感想を直接伝えられました。このご機会を与えてくださり、ありがとうございました。
これからも応援しております!