砂と鉄

よく分からない備忘録たち

2021年1~3月の日記らしいものたち

端末に書いた日記らしいメモです。
特に意味はないのですが、とにかく何かを出力したいときに書いたようです。
2021年からのものです。
ときどきある映画の感想は内容に触れていますので、お気をつけください。
記号になっている部分は、個人的になくてもいいと思ったり、個人の要素が強いと感じたために置き換えた部分です。特に意味はありません。
 
※色がついているところは加筆部分です。

 

 

 

日記

2021/1/10
電車の座席にマスクだけおいてある...

 


2021/1/20
今年、思想(思考の癖みたいな...)ものが変わっていることに気がついた。
生きていることに意味はない(人類が繁殖することに何の意味があるのか?)ので、この生という現実に干渉と認識できる環境で遊び尽くすか...みたいになってきた。

※この考えを誰かに押しつける気はありません。ただ私の価値観、思考の傾向の癖が変わってきているらしい…くらいのものです。

 


2021/1/22
破滅的な食生活だと騒がれている人の朝食が、●●●●●●●●●●●●●●●で、もしかして私も●●●●●●●だったのか? と思いました。
今日の朝食は●●●●●●●●●●●●●●●●●です。

 


2021/1/23
電車で小学生たちが並んで座れる場所がなくて立っていたので、立って席を譲ろうとしたけれど、わたしが完全に戸惑って何も言えなかったのに、小学生が察してくれたことで無事に席を譲れてありがとう...になりました。

 


2021/1/25
体調が優れない。
動けるが、うまく動けない気がする。
不安が強いためか、ホルモンバランスの乱れか...?
1/20頃から明らかに睡眠の質が変わっている。(夢を見やすい、眠りが浅く途中で起きる、寝付きが悪い)

 


2/20
「TENET」を見ていたら、途中から分からなくて(す、すご〜...!)で終わっていました。(「インターステラー」を見ているときの方が、分かった気がしました)
物語の文脈は読み取りやすくて、主人公が未来で過去に向けていろいろしていたり、ニールの依頼主が未来の主人公だったり、主人公が過去で逆行していろいろしていたのをニールが隠したんだなとは分かったのでよかったです。

位置エネルギーや移動エネルギーの結果と過程を、どの時間(前進・逆行)から見るか?みたいに考えればいいのかなとか思って見ていました。
エントロピーの減少って聞いても、(SCPみたい〜!)って思ったくらいの知識(知識なのか?)だから...そもそもエントロピーの減少ってなんですか?となってしまい...
(ある点から別の点へと移動した物体があったとして、片方の点の位置エネルギーを減少させれば、減少させたエネルギー分だけ移動した物体が元の位置に戻り、つまり巻き戻しをしたように見えるということですか?) 

エントロピーの減少を操作する対象が弾丸であれば、移動させた分だけ前進・逆行になり、人であれば未来・過去へ向かって行動することになり、それが前進と逆行(巻き戻し)に見える(観測される?)ということなのか?
時間の前進と逆行の挟み撃ちは、中間地点に当たる時間へ前進・逆行する時間から干渉を可能としていて、単純にこれから発生する(させる)現象に対して干渉できる時間地点を前進の一点だけではなく、前進・逆行の二点にでき、有利に動ける...ということなのか?
...分からないということだけがよく分かりました。

※今でもほとんど分かっていないです…

 


2021/2/25
赤書きされた自分の文章をみたら、「誤字脱字誤用、構成の甘さ、論点のぶれ、論拠の不足、出典誤り」が一瞬で思い出されて破壊される(※衝撃を受けるの意。驚いたときに頭が空っぽになるようなものです。)と思いました。
趣味のことで、そういう本気の文章校正を思い出させてくれるの普通にトラウマ作られるかもしれないのに、した側にとっては善意なのも怖すぎる。
...逆に、文章に対する姿勢や観点、知識が違うと分かっていいかもしれないですが。
赤書きをいい意味で受け取れる人、あまりにも自分と文章を書いてきた環境が違いすぎる...戦場で育った戦士が平和になった街の静けさと穏やかさに発狂しそうになる感覚です。(違います)

※それでも、文章に対する接し方が全然違ったことが分かるので、複雑な気持ちになるなと思いました。

(※同じ作業や趣味に対してのかける労力や、楽しみ方の差、時間をかけて勉強した部分が違うのかと感じると、よく分からない「この人とは、何か違うんだな」と冴えてしまう感覚です。そう思うと、わたしは文字や文章に対して比較的こだわりが強い傾向にあるのかもしれません。)

 

 

2021/3/6
広東語で「貓」の発音が「maau」ということに、「エグザイル/絆」の中盤で泰さんが貓さんを呼ぶ場面で気がついて、なるほど〜!となった。
これを日本語の表音文字で表せない(そもそも言語の違う音声を完全に表記はできないうえ、日本語には発音を表す記号がないために表音文字で表記して表すほかないため)ので、話の中で貓さんの名前を呼ぶところをひらがな表記で表すのをどうすればいいのかと真剣に迷ってしまう...

※真剣に広東語の「貓」の発音表記をするとすれば、「maau1」で表記するか、それを聞き取ったわたしが可能な限り日本の表音記号に当てはめた「まあう・まぁう・まおぅ・まお」とするか、くらいだと思います。ただ「maau1」で表記をすれば、作品全体の可読性を下げるうえに「そこだけなぜ忠実に広東語を再現しようとするのか」という違和感を生んでしまう。翻訳や海外の言語を「可能な限りニュアンスや音などを再現する」試みは可能であるけれど、前知識のない大多数の読者を想定したうえで誰にとっても「瞬時に理解できる形で海外のニュアンスを完全に再現」は不可能だとわたしは思っています。そこに割く労力やコストにも限度があるわけですし…
しかし、単位が異なるものを完全に変換しようしているようなもので、言語が異なるものを音声や文脈、文化を踏まえたうえで読みやすく、齟齬のないように表現できるはずがないので諦めようと思いました。(そもそもわたしは香港・マカオで暮らしたことがないので、理解した気にしかできないのだろうな...と思う。それを言い始めると、創作ができなくなるのでこのあたりの思考は倫理観や自分の知らない文化への敬意を忘れないようにしながらも緩くしていきたいです。)

電車がとまって、そのときに電車の中から見え建物のベランダ(外通路?)で煙草を吸っている人がいて、こういうときに何だか外に出てよかったとか、自分は一人ではなく誰かの世界に認識されているみたいな第三者性や他者の存在を思い出したり、生活するっていうのはこうした何気ないことがたくさんあるのだろうなと思ったりしていて、楽しいと思っているらしいなと思った。(ある一つの事象を観測してそこから誘発された感情の発露の大小をわたしは楽しいと認識しがちである)

「クローゼット」を見るたびに、(え...キム・ナムギルさんとハ・ジョンウさんって...めちゃくちゃかっこいい〜!!)になっていて新鮮な最高が摂取できるようになってきたのでどうやら推しです。

何回か行くネパール料理料理屋さんで、サービスでチャイをいただいてありがたかったです。
顔を覚えられたのかなと思うと少し恥ずかしいですが...

 


3/9
この時期は何かの境目だと、ようやく言葉にできた気がする。

よく音楽を聞いていて、過去を思い出すと当時よく聞いていた音楽を思い出すことに気がついた。
いつも聞いている音楽に変わりないとかなり長い年月の間思っていたけれど、そうでもないらしい。
最近は、「HASAMI group」の曲を聞いている。(2020/12から)
「カルト」「ツイソ」「謎の調査団」などをよく聞いている。以前は、「Sasakure.UK」の曲をずっと聞いていたのでかなり大きな変化だ。

 


3/16
同性婚ができるといいな〜と思った。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●結婚は『身体的な性別によらず、お互いが好きで、婚姻する関係を持ちたい相手同士』でできればいいと思っている。
小さい頃から、「結婚は好きな人同士ですること」という認識があり、今でも「まだ同性婚ができないの?!」と驚くし...
でも、こういう流れでいわゆる異性愛者や異性同士で結婚している方が「同性婚に理解がある人物」として「いい」と言っているのを見るとまだもやもやする。
「大多数・マジョリティ側からで、安全地帯(負担のない立場)から『いい・賛成する』とだけ口で言っているのだろう」(※そもそも大多数派が少数派に対して、「理解をしてやろう」という強い立場からの考えを感じてしまう。そのうえ、「少数派だから理解をして、応援してやろう」というのも感じていて、「差別がないから~の要素を持つ人と知り合いたい」といった「特定の要素を持つ誰かが少数派に属する”異物”だと認識したうえで関わり、そういった人に関わることがあたかも特別だと思っている」のではないかと警戒してしまっているのかもしれないです。こうした考えこそが差別なのでは…? と思いつつ、不勉強なためにうまく思考がまとまらないです。)と思ってしまうためだ...(安易に反対されるより、安易にでも賛成してもらった方がいいのかもしれないけれど)
そもそも、少数・マイノリティ側は「進んでいってもらわないと困る、人権(自分や大切な人)を守るために」なのに対して、大多数・マジョリティ側は「自分とは関係ないけど、進んでいってほしい」だから、そもそもの熱意や意識みたいなものが違うのに、その差にもやもやするのがおかしい(他人にもこれくらい考えてほしい、という強制はできるわけがない。それこそ、人権侵害になる)し、面倒な人間の感情という機能だなと思いました。


でも、地震がほぼ起こらない地域で暮らしていて、地震の被害に遭った方に気軽に支援したい、応援しているとか言えね〜とも思うよ。(※例えがおかしい)

 

 

3/17
風邪気味になった。
くしゃみがいつもより多く出て、アニメや漫画でよく見る風邪の描写みたいだと思いました。
たくさん食べて、カイロを貼って、養命酒コーワゴールド飲みました。

 

 

3/18
風邪は悪化しました。
変な夢をたくさん見た気がする。
眠っているのに、頭や一部の感覚だけが起きている感覚でうずくまっている...みたいな感じでいました。
薬を飲んでも、徐々に目や口、喉、鼻が痛かったり、むずむずしていて、頭が痛くなってしまった。
途中まではいつもと違う体調で体の変化がおもしろいなと思っているけれど、ここまでくるとあまり考えられなくなったり、ふらついてしまうので困るなと思いました。

食べるために手を動かすのができなくて、ピザを買いました。
インターネットで注文も精算もできるし、本当にありがたいなと思いました。ピザはとてもおいしかったです。4つの味のピザを一気に食べて、めちゃくちゃ元気か...? と自分でも引いたけど、その後はぐにゃぐにゃしていた。ホットカーペットで溶けた猫くらいぐにゃぐにゃかもしれないけれど、まだぐにゃぐにゃと無防備が足りない気もする。

体調が悪くてほぼ何も書けないのですが、こういうときに脳はいくつもの機能や組織を成す細胞によってできていて、意識も複数の機能が重なった現象で、体調が悪いと脳の機能のどこかが動かないらしいと分かっておもしろいです。

買ったDVDを発送して...と思った。まだです。

 

 

3/20
買ったDVDの一枚が用意できなかったから、まだ待つか、キャンセルするかの連絡が来て、記憶を失った英語で必死に返しました。
送った後で間違いに気がつくし、英語を勉強しなくなってもとからできなかった英作文がもっとできない(どうやって英語で作文していたかという思考方法まで忘れているので)のに気がついておもしろかったです。

 


3/21
朝からずっと雨が降っている。
たんたんと大粒の雨が降る音が聞こえる。
ガラスがくもっていて、面白かった。通りが霞がかかったようで灰色になっていて楽しい。

 


3/22〜3/23
何だかいろいろとあって(ない気もする)、眠れないし、危ない気がしてきた。
(眠れないのはここ半年ほど?な気もする)
食べるのが面倒くさいと思う。胃瘻したいよ...(最悪)
スーパーでパンを買うのが、地味に好き。
(※何も書く気力がなくここまでしか書けなかった。疲れているときは、細かいことや理屈っぽいことを考えにくくなるらしいです。)

 


3/24
ほとんど行ったことのないお店で、一番おいしそうなお弁当を買ったら一番高いので買い方に慣れてない感じになった。
でも、(私のセンスがいいからな...)とすぐに調子のいいことを考えていた。

 


3/26
映画モンスターハンターを見る前に「ゲームしたことないし、まあ先にパンフレット買って見ても平気だろう!」と見てみたら推しが見開きでいて(うわ〜!!!???)となって咄嗟に目を閉じました。薄目で見たのにほぼ劇薬みたいな威力(癒やし力)がありすぎて、ドーピングみたいになってしまいました。
心拍数が跳ね上がるし、涙が出るし...トニー・ジャーさんは最高なのだ...と分かりました。体温上がってきたんですけど...何これ...いつの間に体が...?(『ドラゴン×マッハ!』からこうなったのに慣れていない)

 


3/27
証明写真機を使ったら、「これ簡単ですか?」と聞かれて証明写真を撮れるまで一緒にいて謎すぎた。
スマホ用の写真を撮ってしまったらしくて、実物の写真が撮れるまでなぜか一緒にいたけれど、見知らぬ人(この場だとわたし)を信用して相手の方はいいのか...と思った。
分からないことでもある程度一人でできるか、人にうまく頼っていけるようになりたいなと思いました。
証明写真機が今までに見たことがないくらい人がいておもしろかったけど、マイナンバーのラッシュらしい。高齢の方はスマートフォンを持っていないと知ったり、何だか難しいのだろうなと思いました。
「近所の写真屋さんに撮ってもらおうと思ったけどね〜!」と言われて頷いたけれど、わたしは知らなかったのでおもしろかったです。(このあたりに住んでいるのはまったく長くない)

そういえば、長く住んでるわけでもないのにときどき道とか聞かれるの普通に何で?と思う(一番長く住んでいた場所は単純に人口が少なかったのか?)。一人で音楽を聞いていて、気の抜けた格好しているのに声をかける相手として選んだなら、もっとまともそうな方に声かけた方がいいですよ...と思う。

電車の窓際に置いてある眼鏡があった。

『ダーリン』『インビジブル・スパイ』がどちらもすごくて、最高でした!
ただ『インビジブル・スパイ』は主人公たちに苦難を与えて最後の結末は前作と一緒にしないという決まりでもあったのか...悲しい...
来世...! 今生でもしあわせになってほしいです...

少年に辛い過去を背負わせないでほしいと切望しつつも、わたしもする(※二次創作などの創作上での話です。)ので何も反論できずに呻きそうになりながら見ていました。
プリキュア〜!!になるところがあったので、最高!! (顔がいい二人が背中を預けあって共闘するのにプリキュアという概念をつけてしまった)
牛?!牛...ってなるのもすごい。普通の映画はならないけど、香港映画だから説得力がすごかった。香港映画だから牛も出てくることがあります。(見たことないですけど...)
壁のモザイク画を見た瞬間に(えっちになるか試す画像!)って思ったのですが、後から伏線が回収されてからめちゃくちゃ申し訳なくなりました。

 

 

 

その他備忘録

これらのテキストを書いたときは、微妙に体調が悪い時期だった、と思う。(「思う」というのは、わたしの体調が悪いかどうかを未だに自分でも分かっていないためです。)
体調が悪くても、「周りと比べれば普通」「我慢するべきだ」「体調が悪い気がするだけだ」と思い込んで気がつかなかったふりをしてきた負債がきてしまったらしいです。
おかげで、書いた日記も今まで以上に支離滅裂で、日記というよりもそのときに思ったことや記録を後で読み返すことを意識せずに書き残した分かりにくい文章となりました。

脳の機能の一部、引いては身体の機能の一部がうまく動かなかったらしく、文章が口語によっている気がしており、私自身で読み返しても何だか整っていないと思います。

それでも、かなりそのときのことや何を考えていたかは思い出せるので、一応文章や文字としての機能は残っているようです。

自分にしては比較的たくさんのことを考えてみたり、いろいろなことをしていました。

 

知らない人から声を掛けられるのはときどき(たぶんです。他の人はどうだろうというのを知らないからです。)あって、大抵は道を聞かれるのだけれど、うまく答えられた試しがないです。知らない人が声を掛けてくるのは意図もすぐに読めないし、悪意(たとえ善意であったとしても、迷惑と感じる行為をするつもりなのか)があるのかも窺えないし、少なくとも得意ではないと思いました。

そういえば、人といて知らない人から話しかけられたことがあったのですが、知らない人がどこかに去った後で一緒にいた相手から「心を閉ざすね(身構えている、警戒心がすごい)」と言われたことを思い出しました。そういう見知らぬ人に対して瞬時に警戒する時点で、知らない人から声を掛けられるのが得意ではないとよく分かります。

 

それにしても、体調が悪くなるということは「平常時からの変化」であり、平常との差を実感できるのが楽しいです。

わたしは不調時にある一定までくらいなら「何かいつもと違っておもしろい! もっといつもと違う感覚を認識したい!」といつも通りのことをして、さらに体調を崩しがちです。どこかの防衛機制とか自分へのいたわり(自分で言うと滑稽ですが。)が欠けているのかもしれないとは思いつつも、脳の機能が低下していることで、自分の思考や自我みたいなもの(自分という意識や現象)が揺らいでいるのがやはり面白いです。

 伊藤計劃の『ハーモニー』ではないけれど、自分の意識とか意思というものは、結局のところ脳というたんぱく質によって成される多層の機能や、内分泌による作用、脳と身体から成るエネルギーのやりとりとフィードバックでしかなく、風邪や体調不良で簡単に揺らぎ、またその揺らぎを自分自身で認知できると思うと、私自身の自我や意思、意識も簡単に壊せて、哲学的ゾンビみたいな存在になれるのではないかという憧れ、興味関心があるのだと思いました。

小さい頃からずっと自我や意識、主義みたいなものを破壊して、機械的というか単なる電気信号と細胞の層の反応に従って生きられたらという憧れがありました。今でもあります。