砂と鉄

よく分からない備忘録たち

『阪急タイムマシン』の感想

『阪急タイムマシン』の感想です。

内容に触れていますので、お気をつけください。

 

 

【作品の書誌情報】

切畑水葉『阪急タイムマシン』2021年、株式会社 KADOKAWA

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感想

初めて読んだとき

ふとしたことで、ウェブで連載されていることを知り、読み始めました。

そのときは2話目が更新されていたときで、3話目あたりから連載を追う形で読んでいました。

阪急沿線に着目しながらも、その地元ならではの話よりも、作中に登場する人物たちの表情やどういった環境で生まれ育って、過ごしてきたのだろうかといった表現がとても豊かで鮮やかなのが印象的でした。

特定の場所を舞台としながらも、あくまでも主題は「阪急」ではなく、「阪急を身近にして生きている人々」といった表現が巧みで、まるで阪急沿線に行ってみたとすればこうなのだろうかといった想像が膨らみ、主人公たちへの感情移入がなめらかにできてとても読みやすく、一つの作品というよりも、主人公たちのこれからも続く物語の一部分を切り取って見せてもらえたように感じられる素敵な作品でした。

最後を読めたときは、二人が何かしらの踏ん切りをつけてよかったと思いつつ、「どうにもできない過去をどうして向き合っていくか」という後悔を持ちながらも向き合い、それを持ったままこれからを生きていくという勇気のある選択がとても好きだと思いました。

もうどうにもできない過去の過ちを許してもらう、忘れる、なかったことにする、でもなく、謝ることはもう手遅れで、好きだと伝えることも今さらだと痛感しながらも、それでも相手に伝えるという「友人」のための選択を野仲さんがしたのかなと、私は考えていて、本当に好きです。

 

 

以下は各話の感想です。

※個人の感想です。

※各話感想の「」部分は作品本文から引用させていただいている箇所です。

 

 

第1話

冒頭のカラーページは、作中の最後から未来の話なのですが、とても好きです。野仲さんの様子から、過去に向き合ってできるようになった表情なのだと思うと、嬉しいです。

阪急が好きだということが率直に表されていて、どこかに電車に乗って行ってみたいと思わせてくれる素敵なページです。

どこかに行くのがいやだという気持ちと、それでも気分を上げていかなければ…! という気持ちの折り合いのつけ方の描き方がすごいです。

好きな本の表紙をつぶしてしまうところは、どうして編み物が引かれると思っているのか最初に読んだときは不思議だったのですが、過去に言われたことが無意識にも傷になっていて隠すようになってしまったのかもしれない…と読み直して、寂しくも感じました。

職場もおしゃれながらも、なじめないのかと思っている野仲さんが食事に誘ってもらって、「うれし~!!!」となる率直な表現が嬉しいと伝わってくるのも好きです。(嬉しいときは、嬉しい!と素直に言うのがとても好きです。)

それでも、その後の食事のところでうまく会話ができない野仲さんの考えていること、焦っていること、うまく場になじめない雰囲気(梅干を見つめている)ところで、周りが騒がしい中でふとひとりぼっちになったように手元や指先をじっと見つめてしまうのを思い出しました。(ここで考えていることが表されていることで、野仲さんが『もしかすると、自分がしたことで誰かに嫌われるかもしれない』と何も言えなくなってしまっているのか感じました。)はっきりと言葉にできないのですが、こうした心情と行動の描き方が本当に丁寧ですごくて、驚きます…!

その後に、サトウさんに声を掛ける前も野仲さんがいろいろと迷っていて、勇気を出して声を掛けたのだと伝わってくるのですが、サトウさんはどこか不穏な気配を滲ませているのも明確で、後に何かあるのだろうなと二人の関係への想像力がかき立てられます。

24Pのところでは、野仲さんの笑顔が過去を変わっていないと思い出しながら、サトウさんが自分の着ている服に手を掛けているところで、過去にダサいと言われたことで自分がデザインして作った服が不安になっているのかもしれないと思いました。こういった何気ない描写も、人物たちが何を考え、何を思っているのかと感じさせるもので、どのコマを見ていても物語が感じられて、とても好きです。

最後のページはお互いが出会ったことで、片方は未来を、片方は過去を思っているところも、後から読み直すとはっとする場面ですごいと思います。

 

 

第2話

雑貨屋さんの表と裏で津村さんと野仲さんが仕切られているのが、野仲さんが感じている距離感なのだと伝わってきながらも、サトウさんという友達がいることが野仲さんにとって支えになっているのがすぐによく分かってすごい導入だと思いました。

34Pのサトウさんの表情は、サトウさんはこれほど過去のことが根に張っている(そして、友達だった野仲さんの個性や特徴をよく覚えている)のに、当の本人はすっかり忘れてしまっていて無自覚ゆえに誰かを傷つけているということが伝わってきて、言葉もないのに表情とコマ割りだけで感じられてすごいです。また次のページでサトウさんが「つまらん仕事」と言っていて、自分から予防線を張っているのかと思えて、後から読み直すとうっ…と辛くなります。

野仲さんが言うことも、何もしなければいいというもので、それを聞いていたサトウさんにとっては何もしないということが最も辛かった思い出として残って、尾を引いているのだと感じます。

40Pの編集さんが出した本が、サトウさんのノートに重なってしまうところも、サトウさんが自分の気持ちとノートは「そんなもん」だと感じてしまうことにつながっているのだという演出で、気がついたときには読んでいるこちらも思い詰めないでほしい…と思ってしまうほどでした。(ここの場面は、すぐに編集さんが謝る描写があり、意図してしたことではないと伝わってくるのでそれが救いです。こうした救いや周囲の人々の細やかな優しさが描かれているのが素敵だと思います。)

インタビューや作品ではなく、作者に興味がある読者がいることに疑問を感じるサトウさんのもやもやする気持ちも分かります。実力や作品が見てほしいのに、売り上げにつながるからと作者に注目か…という興味を持たれるのは悪いことではないはずと理解はできるのに、もどかしい気持ちを想像してしまいます。

電車の中で怖い人に言いがかりをつけられる野仲さんの場面は、本当にこういうことがあるのか…と落ち込むくらい真に迫っているというか、現実で見かけそうだというリアリティがあってすごいです。ついでに、サトウさんのために食器を買ったところでもあって、楽しみや嬉しいと思っていた気持ちが急転直下でがくりと落ち込んでしまう様子にさらに胸にきます。

その後にサトウさんに気がつく場面も、お互いの感情とサトウさんが(実は過去の野仲さんと同じ表情をして、同じ行動を)したことの残酷さやしてしまう理由が理解できてしまいそうで、ぐっと迫ってくるように感じました。友達がいるのに、ひとりぼっちに感じることの怖さや怒り、虚しさが詰まっていて、読むたびに苦しくなります。

電車を降りた後に、サトウさんが後悔している場面は、過去にされたことを仕返してしまう自分の弱さに後悔をしているようで、優しい人だと思います。(本当は野仲さんを守りたかった、過去に折り合いをつけるべきなのにできずに過去の出来事を引きずり続けていることを後悔しているのかなと、私は想像しました。)

 

 

第3話

既読がつかない、無視されたことを検索した履歴を気にするといった、相手がどう思ってしたのかと考えてしまうときに気にしてしまうあるあるが描かれていて、こうした不安や悩んだときにしてしまう行動が細かく描かれていてすごいと思います。(その気にしている野仲さんの気持ちが、1Pでさらりと、それでも重く描かれている密度がすごい...!)
54Pの「友達やもん」という野仲さんの気持ちは、過去のサトウさんも思ったこと(友達だから、守ってくれるはず)と同じなのかもしれないと感じて、後から読み返すと友達という言葉の重みが増して過去を忘れてしまったことへの罪悪感を強く感じます。
56Pから59Pにかけては、サトウさんが過去にされても野仲さんには「ひどい」と言わなかったのだろうなと想像が広がります。そして、野仲さんは忘れてしまったことがサトウさんは未だに引きずってしまっているという、野仲さんがサトウさんを現在進行形で無自覚と無意識で傷つけている、失望させているということが伝わってきて、自分にもそうしたことがたくさんあるのだろうな...と辛くなりました。(言語化しにくい感情を、物語と絵、コマ割り、セリフで巧みに表現されていて、すっと頭と心にずっしりくるのが本当にすごすぎて、すごいです!)
61Pの「関わらんといて!」も、サトウさんの強さ(弱さ)を感じて、私はとても好きです。
野仲さんを傷つけて、謝罪をさせてしまいそうでサトウさんは関わらないでほしいと思いながらも、心のどこかでは「関わらんといて!」を野仲さんが乗り越えて謝って(何かのアクションをしてくれるのではないか)くれるのではないか...と期待していたのかなと想像しています。
63〜65Pの津村さんは、野仲さんを気にしてくれていたのだと嬉しくなります...押しつけないささやかな優しさの表現がこの作品はすごく素敵で、泣きそうになります。そして、野仲さんは怒りや苛つきを聞いてもらいながらも、自分が被害者だと開き直るのではなく、もしかして過去に何かあったのでは...?と考えていくのも、強くて好きです。(ここで、開き直って自分は悪くない、過去を引きずる方が悪いと責任転嫁をすることも選択できたはずで、してしまうときもあるし、その方が楽かもしれないので...)
津村さんは野仲さんに笑顔を見せてくれつつも、野仲さんと別れて電車に乗った後に泣いている姿を見せるところに、津村さんは野仲さんを心配させないために空元気をしていたのかな...と考えさせられます。
そこで、野仲さんが過去のことを思い出しているのは、サトウさんと重なったこと、もしかすると泣きそう(泣いていた)サトウさんとこうして別れてしまったのかもしれない...と過去を想像してしまいます。
また「忘れときたかったな」という言葉も、野仲さんにとっても罪悪感がある過去があると分かって、サトウさんだけでなく野仲さんにも辛かった出来事だったと伝わってきます。(ここで、悪意があってしたのではないと分かるのが唯一の救い...でしょうか。悪意があってされたら本当に辛いので...)
過去の回想はサトウさんが友達と同級生の前でがんばっている姿と、それを容赦なく無邪気に悪いことを言う同級生にとても辛くなりつつ、私もしたかもしれないと過去を思い出しそうになる肉薄した描写が本当にすごいと思います。(『春の一重』でも感じましたが、作者さんの無邪気な悪意や暴力を包み隠さず毒としてはっきりと表現する強さがすごいと思います。そもそも表現できない、少しいい話みたいに逃げて表現してしまうこともできるのに、真正面から描く強さが感じられてとても好きです。)
3話の最後で野仲さんが駅のホームで過去を思い出す場面は、サトウさんと対比になっていること、阪急電車で過去を向き合うきっかけになっている構成がすごすぎて、まるでドラマや映画を見ているように、とても近くに感じられます。

 

 

第4話

関わらんといてというサトウさんの言葉に、FIKAさんの本をしまい込むところで、野仲さんが過去にしたことへの重みが伝わってきます。FIKAさんが好きなのに、サトウさんをもう思い出さずに傷つけないためという覚悟が野仲さんなりにあったのかなと思います。
また謝っても取り返しがつかないと、謝罪を自己満足だと分かっていて、自分のために謝罪をしてサトウさんに許してもらった気になろうという安易な『思いやり』を選択しない強さがすごいと思います。(謝罪をすればいい、相手のことはともかく自分なりに謝ったから許されて当然と思う方はいるらしく、ときどき作品の表現や現実で見て、うっ...と思います。)
津村さんへのハンカチのお返しとして、お茶を合わせているさり気ない気遣いに、野仲さんはコミュニケーションがへたかもしれないけれど、誰かがこうすれば喜んでくれるかな、お礼になるかなと考えていると伝わってきて、優しいなと思います。(コミュニケーションが取りたいと思っていないと、こうした気遣いをするところまで考えが及ばない気がします。)
津村さんが電車で気がつかなかったことを落ち込んで考えてしまう野仲さんの「ファ〜」「まだファ〜」という表しにくい感情を的確に表わしているのがとても好きです。読んでいると面白いのに、自分がするとまったく面白いと思う余裕もなく、何か悪いことをしてしまったのではないか...と考えてしまう気持ちが分かります。
お昼ご飯のメロンパンは知らなかったのですが、何か気をそらすときに原材料を読んでしまうのが分かる...となりました。(漫画を読んでからこのメロンパンを売っているのを偶然見かけて食べてみたのですが、自分の知らないメロンパンでとても驚きました。美味しいのですが、密度がすごく、驚きと美味しさですごい...!となりました。)
本田さんにがんばって声をかける野仲さんが、噛んでしまったり、「えっと」と詰まりながらも尋ねているところで、大丈夫とつい声をかけたくなります。
本田さんも、野仲さんが焦っていると分かって「平気!」と答えてくれるところが、大人の優しさが見えて好きです。
90〜93Pにかけて、津村さんをずっと考えて気遣う野仲さんの描写が丁寧で、とても好きです。店長も津村さんを気にかけていて、優しいところが好きです。
94Pの「心の準備が一駅足りん」の気持ちが分かりやすいたとえと表現で、私はとても好きです。どうしようと悩みつつも、FIKAさんの投稿で、自分がしてきたことに気がつく野仲さんが過去と同じことをしないように考えるところも恐れながらも、過去た同じ過ちはしないと向き合う野仲さんの強さにぐっときます。「考えろ」「考えても無駄かもしれんくても」というところに、誰かを思っているのだとしみじみと感じられて好きです。(誰かのために行動するのはとても難しくて、もしかすると相手を傷つけてしまうかもしれない、そうしないためにどうすればいいか...と考えるのが誰かを思うために大切な一歩だと私は考えているため、ここの描写が本当に好きです。)
97P〜102Pで、野仲さんが津村さんのためにしたことも様々な葛藤をしながら、友達が一番大切で、そのためになら自分がどう思われてもいいと何かをしたことの強さ、優しさが伝わってきて感動します。
本で読むと、見開きの勢いもあり、作品にさらに引き込まれるところもとても好きです!
電車に乗っている人たちが迷惑がりながらも、野仲さんが謝って窓を閉めようとするのを津村さんが手伝ってくれるのも、まるで気遣ってくれてありがとうと伝えているようで好きです。ここで津村さんが無視する、余計なことだと怒るのではなく、ありがとうと伝えてくれたことが、野仲さんにとっても大きな一歩になったのだと思うと、本当によかった...と野仲さんと津村さんに思います。
最後の「やっと分かったよ」という言葉も、何がコミュニケーションに大切か(誰かの目を気にするより、友達のために考えて行動することの大切さ)に気がついたこと、過去に向き合って野仲さんが気がついたことへの強さが改めてすごいと思います。
(過去にしたことを自覚し向き合うことは本当に難しくて、過去の自分がしたことをなかったことにしたい、正当化してしまうといった心理は防衛機制であるのに、それを乗り越えて過去と同じ過ちをしないために自分が傷ついてでも誰かのために【たとえ自分がよかれと思ってしたことが、相手にはそうならずに、自分が望んだ反応がなかったとしても】行動する強さが描かれていて、感動します。)

 

 

第5話

津村さんの復帰をお祝いしてくれるのも優しいですが、その場の雰囲気がほっとする描写で、野仲さんも段々と言いたいことを言って他の人たちとの会話に参加できているのが見られるのも、心の底からよかった...と思います。
津村さんと一緒にいるときにサトウさんとの過去を思うところで、野仲さんはサトウさんと損得なしにただ友達でいたかったけれど、自分が誰かの気持ちを考えられずに嫌われるかもしれないと怯えていたことをしみじみと後悔する場面が好きです。
津村さんに謝った後に、津村さんが野仲さんのしたことを肯定してくれたおかげで、野仲さんがただ後悔するだけではなくさらに踏み出していけるところの変化と決心が見られて、傍から見ればささやかかもしれなくとも、本人には重大な一歩だったのだと伝わってきます。
サトウさんが家にいる様子がとても実家感があるのと、猫が家で悠々としている描写が好きです。編集さんのやり取り「待っ手」もかわいいですが、やり取りに含まれる棘や焦りにはらはらもします。
落ち込んだときにもう無理かもしれないとよく失望して浮かび上がれないのではと私は思うのですが、このときのサトウさんの絶望感がひしひしと伝わってきます。
そして、過去のきっかけとなった編みぐるみを捨てようとしながらも、編集さんが急に訪れた焦りで逃げてしまうのも、不器用なサトウさんの一面が垣間見れるようで好きです。(本当は助けてほしい、相談したいけれど、誰かに弱みを見せて何か言われる、嫌われるのが怖いのかもしれないと想像が膨らみます。)
電車での失敗に過去のことを思い出すのも、周囲の人がひそひそ言っているのが聞こえてしまうのも、心がざわざわします。「みじめな思い」というのも、そうだよな、悪意があろうとなかろうと(たとえ善意によるものでも)したくないよ...と改めて重く感じます。
編集さんが手伝ってくれて糸を褒めてくれるのが唯一の救いで、ほっとするのが好きです。(子どもの頃と違って、誰かが味方にいるという安心感があります。)
一緒に糸をほどくときに「仕事です!」という編集さんは、サトウさんに無償の恩をかけるのではなく、負担をかけないように仕事としてサトウさんを手伝うようにしているのかなと思っています。
その後に編集さんに過去を言葉にしていくサトウさんの「許せへん」「認めてやらへん」というのは、野仲さんを許せない自分のこと、未だに過去を根に持っている自分が許せない、もしかするとダサいと笑っていたかもしれない野仲さんを認めたくないといった複雑な気持ちがたくさんあるのだろうなと泣きそうになります。
編集さんの「泣くとかウソっぽすぎますね」「エラそうですけど」と謝りながらも、サトウさんがしてきたことを肯定する姿に私も内心でありがとう、ととても思いました。(どれだけ肯定しようが、偽善や誰かを助けたいといった上からの目線にどうしてもなってしまうかもしれないという不安がありながらも、編集さんはサトウさんに気持ちを伝えてくれたのかなと思っています。)
ここで、サトウさんの過去の呪縛のような記憶がほどかれて過去から今ここに気持ちが戻ってきて、「作家(ルビ:おとな)」になったのかなと感じました。野仲さんも同じように、編みものを通して子どもの頃から成長して、何かしらの行動を起こしているのもとても印象的で応援したいと(身勝手ながら)思いました。

 


第6話

編み物をする野仲さんがとても素敵です。サトウさんの作品と自分が作ったものを「かわい〜!」と言っているのが本当に好きです。
津村さんが素直に「オシャレな本」とお店に置いてもらうことを提案したときの、野仲さんの表情に嬉しさと気後れ(目立って何かを言われるかもしれない)している様子が見えて、つい大丈夫と言いたくなります。
お店に本を置くことが決まってから、作品を編むと提案した野仲さんの行動と、自信がなくなりかけたときに編みかけの作品で自信を持ち直すのも、サトウさんの作るものが本当に好きで、素敵で、野仲さんを支えてくれているのだと伝わってきます。
野仲さんががんばると同時に、周りの人も新刊に合わせてレイアウトを合わせてくれたり、心から掛け値なしに褒めて、いいものをいいと認めてくれているのが、本当に善という感じで、とても好きです。
店長もどうかと聞く前に、みんなの反応が待ち遠しげな表情をしているのもかわいくて、好きです。
142〜145Pからは野仲さんが見なかったふりではなく、サトウさんの本とインタビューに向き合う姿に強さを感じつつ、野仲さんは過去の自分を改めて叱咤と反省をしてメッセージを送ることで、サトウさんはインタビューで過去に向き合うことで、お互いに何かしらの行動で過去から前に進んでいこうとしているのだと感動します。

本が出た後に編集さんに謝るサトウさんと、仕事だと笑顔で応える編集さん二人が大人な対応で、この作品はやはり大人を描いたものだと感じます。

148Pの野仲さんの「もう二度と会われへんくても」で、ただ謝罪をするのではなく、ある節目として思いを伝えたい(たとえそれが自己満足で、サトウさんに受け止めてもらえなくとも)と行動をするところの覚悟や優しさ、これでいいのかという迷いが窺い見えて好きです。あと、津村さんに「新しいのん編んでるん?」と聞かれてすぐに野仲さんが「うん」とごく自然に受け答えができている場面で、編みものへの負い目や過去の出来事から自分が好きなことを隠さずに好きと表せるようになっているのが分かって、よかった…と思います。

151Pからサトウさんに出会う場面は、緊張してしまってうまく言葉にできていない姿と、謝罪が「とってつけた」ように思えてしまう心苦しさがはっきりと伝わってきて、読んでいるときにどきどきしました。

153Pの「許すなんて」「言わそうとせんでよ」というサトウさんの過去を許せない気持ちも、野仲さんの「許してほしいなんて思てへん」「謝らせてほしいねん」という自己満足でも謝らなければ気が済まないという気持ちも分かって、どうしようもない過去に二人が向き合う姿が強くも、弱さを抱えているように見えて、とても好きです。(ここの場面は、まだうまく言葉にできません…)

そして、サトウさんから「今さら」と謝ったことに言われても、今さらと受け止め、サトウさんが作るものを「大好き」だと伝える芯の強さと、過去は変えられないけれども、昔から今もずっとサトウさんの作品が好きだと誰かに伝える言葉として表すという野仲さんの決心がとても好きです。謝るだけの自己満足でも、サトウさんから許してもらおうというためでもなく、過去がどうあれ、誰からどう思われようが、今の私はサトウさんの作品が好きだと表していき続けるということで、もう過去のような後悔はしないという気持ちと、過去の過ちへの向き合い方が私は好きです。

ここの見開きは、過去にサトウさんと野仲さんが電車に乗ったときの構図にも似ていて、過去からこの場面につながっているのだと感じて、時が動き出しているのだと感じます。

159Pの過去を覚えているという会話から、辛い思いがある過去と向き合い「バイバイ」と「ありがとう」をお互いにしっかりと伝え合うのも素敵です。

二人が過去から様々な出来事と人との出会いを経て、改めて子どものときの出来事を乗り越え、行きたい方へと向かえているのだと実感して、よかった…!と読んだときは心の底からほっとしました。

 

 

番外編

二人の出会いが描かれていて、笑顔になりながらもこれからあのような出来事が…とつい思ってしまいます。それでも、過去の二人の出会いにこうした思い出があったのかと、微笑ましく読ませていただきました。

ひみつを伝え合う仲の良さや、少しずつ相手を信頼していくサトウさんと野仲さんが素直にサトウさんのひみつを褒めているところがとても好きです。

 

 

扉絵と表紙、あとがき

扉絵、表紙、あとがきを見ていると、本として手に取れる幸せを感じます。

こまかなところまで繊細に描かれた装丁と、カバーを外したときに見られる絵、阪急タイムマシンに出てきた場所やお店の紹介をじっくりと見られるのも最高です!

あとがきも書き下ろしで、作品がさらに魅力的に見えてきます。

 

 

個人的な感想

カバー折り返し部分の作者さんの紹介文のところは、初めて見るもので笑ってしまいました。

最初のカラーページで野仲さんが着ているセーターが、第6話でサトウさんが着ているものと似ていて、これも野仲さんがFIKAさんの作品を自分で作って着ているのだと思いました。自分で作った好きな作家さんの作品を着て外に出られるくらい、本当にサトウさんの作品が好きで、第6話で言った通りにできるようになったのだと想像が膨らみます。

あと、職場の方たちと打ち解けられていて本当によかった…としみじみ思います。

 

個人的には、編みものはおしゃれで、こつこつ何かを作れるすごいことだと思っているため、サトウさんが過去に言われたことに「え…?」と思いました。(そもそも好きなことや趣味に優劣などはない『※法と秩序に反しない範囲で』と思ううえ、誰かが好きなことを理解できなくても、けなすことはなぜするのかと思っています。)

また私はこの作品を読んで、「好きなことはもっと好きだと言おう」と思いました。普段から、好きな映画などがいい!としか言っていませんが…

 

誰かに物事を伝えるのは自分勝手(エゴ)な部分があるのではないかと、最近になって思うようになってきました。

つまり、いつでもどこでも、誰にとってもいいことだという行動はなく、誰かを傷つけるかもしれない、という可能性があることに気がつきました。

そして、謝罪や贖罪は身勝手なものかもしれない、むしろ許してほしいからしている独りよがりな行為なのかもしれないと考えるようになりました。(謝ったから、許してもらえる、許さない相手は心が狭いといった押しつけにつながることもあるのかもしれません。謝罪によって、相手に許すか許さないかという二択を強引に押しつけてしまう可能性もあるのでは?と最近は思っています。)

 そうした中で、謝罪や許すとは、過去の過ちを償うとは、相手を思って何かを行動するとは? と考えるようになりました。どれほど考えたことが無駄になるかもしれなくても、何も考えないよりも考えるところから反省や改善ができるのではないかと私が考えているためです。

こうしたことを考えている中で、『阪急タイムマシン』は葛藤・迷いの大切さ(まず迷うことすらなければ、自分のしていることを省みることすらできないため)、誰か(自分を含めて)を傷つけるかもしれない中でも何もしないより行動をする重要さに改めて気がつかせてくれました。

また、派手なアクションなどの映えるテーマを主題にした作品や恋愛を主題においた作品が多い中で、「友人」「過去の出来事と今」「その地域で生きる人々をごく自然に『そこで暮らして生きている人』として描く」といった普遍的なテーマと日常をここまで鮮やかに描いているのに心を惹かれました。

『春の一重』もすごかったのですが、人々が持つ善なる要素から日常に潜む通り魔のような無邪気な悪意を明白に描き出す強さがとても好きです。(何かを包み隠さず、善も悪もしっかりと描いて表現している作品が私はとても好きです。)

 

偶然から知った作品でしたが、素晴らしい作品と出会えたこと、無事に連載が完結し、書籍として手に取れたことを幸せに思います。

 

 

 本に関する情報

 書誌情報

『阪急タイムマシン』

切畑水葉『阪急タイムマシン』2021年、株式会社 KADOKAWA

ISBN978-4-04-680249-1 C0979

 

『春の一重』

切畑水葉『春の一重』2018年、株式会社 一迅社

ISBN978-4-04-7580-3368-8

 

 

試し読み(ウェブ)

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