砂と鉄

よく分からない備忘録たち

『レリック ―遺物―』の感想

『レリック ―遺物―』の感想です。

個人の感想と考察みたいなものです。

※作品の内容に触れています。

 

作品については公式サイトを参考にしてください。

transformer.co.jp

 

 

感想

『レリック ―遺物―』は、中盤までとにかく嫌な予感と未来に対しての不穏さを漂わせており、そこにいるだけで何だかいやだと思わせる雰囲気があり最高でした。

映像がとにかく薄暗く、明るい場面がかなり少ないです。一方、明らかな怪奇現象や幽霊といったものは後半まで登場せず、本当に何かが家にいるのか、それとも老化によって現実への認識が正しくできなくなっている祖母の妄言なのか…と疑念が払えない演出もとても素敵でした。

 

また、老化が進んだ祖母への認識が母(ケイ)と娘(サム)で異なっているのが興味深かったです。

祖母が娘(ケイ)と孫(サム)に対する接し方も微妙に異なり、娘には教えなかったことを孫には教えている、娘よりも孫の方に優しく接していると窺わせる描き方も、家族間での細やかな軋轢、嫉妬、苛つきといったものを丁寧に表していてすごかったです。

家族でありながらも、仲が悪いような、真正面から好きだ、恨んでいないとは言いきれない関係を表わしているようで好きです。

そうした中で、徐々に祖母が認知症ではないか、危ない状態にあるのではないかという疑念が膨らんだところで崩壊するようにサムが家の謎の場所に巻き込まれていくのがよかったです。

最後にかけての恐怖の煽り方や絶妙に不気味な場面も好きなのですが、容赦なく暴力という手段を使う部分も追い詰められている心情を表わしているようで見ていて楽しかったです。

最後の終わり方は、ホラー映画と単純にいうよりも、「ホラーという手法を使いつつ、老いへの恐怖、老いは誰もが迎えるもの、家族間での老いへの恐怖」を表わしているようで、単純に怖い中にも自身の体の老いや周囲の人々も老いていくのだという事実を改めて考えさせるような部分があり斬新で好きです。

(純粋にホラーとして見たい方にとっては、少し象徴的な部分が多い気がするため微妙かもしれないと思いました。『グリーンインフェルノ』からホラーやゴア要素を減らして、象徴的な部分を増やした感じに近いと思います。)

 

地味なところでは、娘(サム)に祖母が指輪を譲る場面で、母(ケイ)が離婚をしている(結婚をしていない)ことを匂わせる場面が好きです。この場面から、祖母に関わる血縁者や身内は母(ケイ)と娘(サム)だけであり、母(ケイ)の夫といった別の家庭は関われないために孤立した一家族になっているとよく伝わってきて、閉塞感があり気に入っています。

 

 

考察

個人的に気になったことを備忘録代わりに書いていきます。

・祖母(エドナ)はどういった状態だったのか

これは老化による認知症だったのではないかと私は考えています。(作中で徐々に現実への認識がずれていく、サムへあげた指輪を取られたといった被害妄想などの症状が描かれているためです。)

しかし、認知症だけでは説明できない部分もあります。

・序盤の行方不明に関して、どこに行っていたのか。

・家の中に誰かいるとは?

・痣は何だったのか。

といった点です。

 

・序盤の行方不明に関して、どこに行っていたのか。

この点に関しては、行方不明のときに森にいたか、どこかの家の倉庫などにいて寒さを凌いでいたのかと思っています。

ここは作中で表されている情報が少ないため、考えても答えがない気がしています。

妄想としては、この行方不明の間に祖母ではない何か(最期の姿)になって帰ってきたという象徴的な表現かもしれないと思っています。

 

・家の中に誰かいるとは?

これは現実への認知ができなくなる中で、記憶が混在し自分がしたことにも「別の誰かがしたことではないか」と思い込んでしまったのかなと思いました。

また、老いた自分のこと、自身を蝕む老いのこと(過去になくなった曾祖父のこと)を象徴している気がしました。

 

・痣は何だったのか。

病気などではなく、最後の場面で母(ケイ)の体にも痣が表れていること、祖母が痣を引っかいていること、いつの間にかぶつけたのではないかとごまかしていることから、老化を表わしているのだと私は考えました。

 

 

・曾祖父の存在

これは勝手な想像ですが、かつて認知症を患いつつも家族が世話をせず(当時は認知症を知らずに正しく接することができなかった?)に亡くなってしまった曾祖父への罪悪感、老いたら家族にさえも見捨てられてて一人で亡くなるのではないかといった祖母(エドナ)、母(ケイ)への無意識(明言されてはいませんが)恐怖になったのではないかと思いました。

 

 

家に残っている謎は何だったのか

・娘(サム)が迷い込んだ空間は何だったのか

これは祖母(エドナ)が老化で現実への認知ができなくなったゆえに、家の中で迷い込んでしまったことに巻き込まれてしまった=説明ができない超常現象なのかなとぼんやり思っています。

理由は、今まで進んできた通路を戻ると既に壁で塞がれているなどといった明らかに不可解な現象があり、説明がつかないと思うためです。

メタ的な解釈から見ると、祖母・母・娘が「老化による恐怖」に巻き込まれている表現なのだと思っています。今まで進んできた通路が壁で塞がれていくのは、何も分からないままに進んでいかざるを得ない、来た道を確かめられないといった老化によって変質していく認知を表現しているのかなと考えました。

 

・家に残されたメモは何だったのか

老化で現実への認識が失われ、記憶があいまいになっていく過程で、家の中に祖母(エドナ)が残したメモだったと考えています。

ただし、最後に見つけられた「私は愛されていた」というメモは「老化で記憶を失い、自我を失い、現実を認識できる機能を失って『今』という認知さえも失っても、過去に家族と共にいて愛されていたことは確かだった」という記憶(心情)を残しておこうと思ってのこしたものではないかと思いました。

最後もまた、老化で自我を失った祖母という存在に寄り添う母(ケイ)の選択は、曾祖父が世話をされずになくなってしまった過去への贖いであり、祖母への愛だったのだと思います。

そして、そばに寄り添った娘(サム)も母(ケイ)の愛を見つめながらいつか母(ケイ)も老いていく過程にあるのだと暗にほのめかしている終わりなのかと感じました。

 

 

関係のない個人的な感想

映画を見ていて終盤にサムが家の謎の空間に迷い込む場面で、私が過去にいた家にも入ったことがほとんどない小屋や、使えない井戸があることを思い出しました。

普通にどこにもあるものだと思っていましたが、普通ではないかもしれないと思ったので小屋は何に使っていたのか改めて聞いてみました。

過去に住んでいた人が使っていて、今は物置(ほぼ使われていない)となったそうです。

どういった経緯で作られたのか、なぜ作ったのかまでは聞けなかったのですが、なぜか過去にいた家は使われていない空間・部屋がかなりあり、昔の家というものはそうなのだろうか…と私の感覚ではよく分からないなりに思いました。

 

井戸に関しては聞けていませんが、昔は何もなかったらしい地域のため水道が引くまで井戸を利用していたのを単純に使えなくしても問題ないと使えないままにしているのだと推測しています。特にホラー映画らしい要素はないと思います…

 

今になって気がつきましたが、家に井戸があるのは『貞子vs伽椰子』に出てくる家と一緒だ!とテンションが上がりました。