砂と鉄

よく分からない備忘録たち

『ベイビーわるきゅーれ』の感想

『ベイビーわるきゅーれ』の感想です。

※内容に触れています。

 

公式サイトはこちらです。

babywalkure.com

 

 

 

まとめた感想

すべてが最高に好みです!

 

見た直後の感想

 

 『ベイビーわるきゅーれ』がすごすぎて、最高!です。
 『カラテキル』『リボーン』を見たときと同じ、興奮と感動をもたらす強さと展開が気持ちいい物語、訓練を重ねた身体が織りなす極地と化したアクションが見られて本当に最高!です。


 アクションから生死を渡り歩く美しさと緊張を感じ、哲学にも近い研ぎ澄まされた感覚が得られて最高です。
 主人公二人の関係性もにこにこしつつも、生半可な日陰者であるゆえに「ツイッタラー」「ツイッターで〜言ってそう」などが痛いほどに突き刺さり、現在進行形(いま)の若者という感じがいいな...!と思いました。(作中の独特の無気力感や皮肉っぽい感覚、上辺だけの知識のサブカルオタクを冷たく笑う文脈がすごく今作り上げられているというもの・文化・空気感だと思いました。)
 あと、地味にバイト先の苦学生か、奨学金返済中の先輩の金銭感覚に(あっ...はい...)になりました。コンビニの買い物くらい高くないって平然と好きなものを買う商品がいくらのおにぎりとサンドイッチというお金に心配のない余裕があると分かる絶妙な金銭感覚...あと、お腹を膨らませるために菓子パンを食べている先輩...妙にリアルすぎる...ここまで手を抜かない描写がすごいです。(奨学金という負債制度...)
「貧乏」ってさらっと言える遠慮なしというか、世間知らずなところは殺し屋として育っているからなのかなという気がしてよかったです。

 

 

少し経ってからの感想

アクション

 私はアクション映画が好きなのですが、特に好きなのは「作中の雰囲気・文脈に合うアクションが展開されている」ということです。

 戦争・軍事ものであればそれによっていると思えるもの(実際に軍や戦争で用いられた技術・訓練から成しえる身体能力ではなくてもいい)、暗殺などの目立たない行動が重視されているのであれば最小の動作で相手に最大限の損害を与えるもの、アクション映えを重視しているのであれば現実離れした超人的なもの、といったところです。(最近見たものでは、『KATE』が微妙に合っていないなと思いました。暗殺する仕事をする主人公の割に目立つ・映えるアクションの比率が多かった気がします。)

 そうした好みに、『べいびーわるきゅーれ』はぴったりでまさしくこれが見たかったんだよ!というものでした。

 殺し屋のため楽しむためでも、アクション映えをさせるためでもなく、最小の手数で人を手にかけ、隙を見せずに相手を倒すという命を懸けたアクションが見られて本当に最高です!

 個人的な好みでは、『カラテキル』『RE:BORN リボーン』に並ぶ最高アクションが見られると思います。狭い空間の中での戦いや、大柄な相手と小柄な殺し屋の戦い方、素手と拳銃のアクションなど、とにかく目が離せず、一瞬でも隙を見せれば殺されるのではないかという迫力とアクションの美しさ、それでいて主人公たちの強さを知っているためにどこか安心して見られるという見事にコントロールされた舞台を見ているようで本当にすごかったです。

 無駄な動きを省きつつも、カメラを前にしてどれだけアクションを美しく・かっこよく・生きるため(死なないための)立ち回りを考えられたのだろうかと思えて、とても好きです。(私は極限まで研ぎ澄ませられた身体能力・アクションを美しいと捉えており、一種の芸術・哲学となっているのではないか(武士道?)と勝手に想像しています。)

 

 

現在進行形いまの会話・やりとり

 主人公たち二人のやり取りはツイッターの文脈が色濃く出ていると感じるのですが、特に「どこか盛り上がりきれない冷めた雰囲気を感じさせる」「上辺だけの知識をふりかざす〇〇(汚い言葉のため伏字です。)サブカルオタクを分かっている」「逆張りする人を客観視したうえでたとえに用いる」部分です。

 映画でこうした表現を見たのは初めてで、どうしてなのかと考えてみたのですが世の中に出る映画の多くは「インスタグラムなどをする輝かしいほどまっとうな人々の姿・青春」「ツイッターすらもしていない・そもそもインターネットで交流・発信をあまりしていなさそうな人々(しているかもしれないが、作中でインターネットをどれほど使っているかの描写がないため不明)」が多いのかなと思いました。

 つまり、インターネットが日常や交流に密接で、その文脈を会話ややり取りに使う場面を描こうとする作品が少なかったのかなと思います。普遍的な面白さを優先しており、どの年代にも分かりやすく通じやすい会話や文脈を描く選択をしているのかもしれません。

 しかし、ツイッターを主とした独特の文化・文脈を用いた会話のやり取りに、どこか努力に対する倦怠感や未来への閉塞感、周囲でいると少し面倒くさいなと思う相手への存在が濃密に感じられて、殺し屋である主人公たちをより近しく感じた気がします。

 言語化するのは難しいのですが、この作品自体がメインカルチャーではないために、サブカルチャーからの視線をはっきりと認識したうえで受け入れられる文脈を組み込んでいる…ような気がします。(上辺だけの知識のサブカルぶった人たちを煙たく感じる主人公二人に、サブカルなりのこだわりを感じてサブカルを見下げられていないと私が考えられて嬉しい気がしているのかもしれません。サブカルのことを分かっていますといった目線で、『分かったような上辺だけのサブカルの利用』をしているのは見下げられているような気がしてしまいます。)

 あと主人公たちが、恋人や家族、恋愛に価値を見出していない、将来ではなく今がよければひとまずはいいといった価値観が見られるのもとても今っぽい(最近になって言いやすくなった考え?)と思います。

 今よりも前のような恋愛が絶対至上主義という価値観も揺らぎ始め、家族や恋人といったつながりも絶対的なものではないと思う人たちが表に出始めているとも感じます。また将来よりも、今を怠惰にして過ごす・これからも今も働きたくない(=過去の仕事至上主義的な価値観はいやだ)と冗談でも言える傾向と文化が作品ではかなり感じられ、新鮮でした。(こういうのが表に出ていると、今の若者は…と怒られるので…。こうした価値観のほとんどは悪・よくないもの・脱するべき文化としてメディアでは言われる代表格となっている気がします。「親ガチャ」みたいな言葉も、ツイッターで目にする文脈と、テレビなどのメディアで「最近の若いもんは…」とけしからんと叱られる文脈とは異なるのですが、『ベイビーわるきゅーれ』はこうしたメインカルチャーではない文脈を否定せずに真正面から映しているような気がします。)

 正直に言うと、私も主人公二人のような価値観に近いのでとても共感して見られて楽しかったです。(その分、身につまされることも多かったです…)

 

 

作中の価値観・倫理

 作中の登場人物たちの価値観や倫理が絶妙だなと思ってみていました。

 極道の親分である浜岡一平の「女性主体の時代が来ると言いながら、女性を理解しようとしてやる・歩み寄ってやるといった上からの目線(自身が”女性を理解してやる立場”ということに疑いを持っていない)と本性では女性そのものを見下げている」ところでしょうか。価値観をアップデートしないとというセリフも、価値観をアップデートできている、価値観は簡単にアップデートできるものという価値観を感じられて、「価値観は意外にも生活や無意識に紐づいているもの」という微妙に時代からずれている感覚が見られていい意味で悪い印象がしっかりとコントロールをされているなと思いました。

 どれだけむかついたとしても、作中で「結局は差別をしている!」というダメな姿を見せた後にあっけなく始末されるため、すっきりする最高の退場を見せてくれて本当によかったです。

 なんというか、少しずつ差別をなくそう、なくしていっているという動きがある現在ならではの差別的な価値観と無意識に女性を見下す感覚が物語に違和感なく、登場人物の印象づけの役割を果たしていてもやもやしつつ、その後にすぐすっきりしてすごいと思いました。

 

 またこれは細かいのですが、メイド喫茶のバイト先の先輩との会話で分かる絶妙に貧しい金銭感覚が…リアルすぎて…

 「コンビニでおなか一杯食べようとする」ことが「1000円かかる」のは当然なのですが、同じ1000円でも別のものを買えば数食分になるという…コンビニは身近にあるけれども、普段好き勝手に食べたいものを買って200~1000円単位で気軽に浪費できないという金銭感覚が表現されていてすごいと思いました。

 コンビニでサンドイッチを買うのに抵抗感があったり、いくらおにぎりを買うのはあまりしないなと選択肢から外したりする、スムージーは高い飲み物だという感覚であったり、普段気軽にできる浪費・値段を見ずに欲しいものが選べない金銭感覚がここまでリアルに肉薄している表現は初めてで、本当に現実を感じました。

 先輩が「大学も奨学金で」と言いながら大きい菓子パンを食べている姿と、ちさとさんが買ってきただろう飲み物でスムージーを飲んでいる姿から、奨学金に苦労している学生(卒業後に奨学金の返済のため、バイトをかけもちしているのかもしれませんが…【正社員をするよりバイトをかけもちする方が割がいい場合もあるという世の中のバグのため】)が、健康に気遣いたいのに野菜などを食べる余裕がなかなかなく、他人におごってもらえるときに健康的なものをつい選んでしまうのではないか?という背景まで勝手に想像してしまいました…

 あと、こうした価値観に向き合ったときのちさとさんが「お金に苦労したことがない」「貧乏」とオブラートに包まずに言えるのも、殺し屋のために金銭的にはまったく黒をしていない、お金に困っている実情や世間を知らずに生きていること、たとえ恨まれたとしても殺し屋として培った力と人脈で抑えつけられる強者であることを生々しく伝えてきて本当にすごかったです。

 あと少ないセリフと必要な場面描写だけで、現代社会の実態・金銭感覚を想起させるのが本当にすごいと思いました。

 劇場にふらっと来ても、半端ではない丁寧な日常と激しくも洗練されたアクションが頭に入ってきやすいという新鮮な気持ちになりました。(アクション映画はどうにも非日常になりがちな気がしていて、主人公たちが特別チームにいる、身近ではない職業である、超人的であるといったところに「いや、現実ではないな…」「どうしても想像しにくいな」と思ってしまいます。ですが、『ベイビーわるきゅーれ』は普段は配信とゲームを楽しみつつ、今を楽したいという親近感の湧く主人公たちと身近に感じつつある差別・金銭感覚を挟みつつ、鋭いアクションでとにかく人を倒すという暴力が入ることでうまく世界観や物語の雰囲気に入り込みやすいのかなと思っています。ゲームでたとえると、『真・女神転生』シリーズみたいな、実はすぐそばに死があるかもしれないという感じです。)

 あと、作中でいやなことはいや、怒っていること・不機嫌になっている理由をあいまいにしない、苦手だとしても言葉にして伝えて謝ることで、主人公二人でも伝えなければ分からない、引っかかった部分をあいまいにせずの理解に努める描写が多く、作品を見ているときに感じるストレスがなかったのもすごかったです。(ここでいうストレスは、恋愛ものによくあるすれ違い・不和の多くがホウレンソウができていないのではないか? 愛という都合のいい理由で我慢している・誰かを抑圧しているのではないかというストレスです。)

 

 

登場人物と背景

 主人公二人の説明はほぼないのですが、作中で「高校生」「進学志望ではない」「殺し屋の会社にいるため、生活がなんとかなっている」「殺し屋の仕事は苦ではない」のが分かって、それ以外の要素を省いて「この作品は、あったらかっこいい殺し屋の会社といたら憧れる強いコンビが、社会に縛られつつもかなり好き勝手に生きる映画です。」と見るときの導線を表しているのがすごいです。

 予告だけみただけの状態でも十分に世界観に浸れて、すっきりできます! 無駄な導入なく娯楽に突き進んだ潔さがありわたしはとても好きです。

 説明はほぼないのですが、登場人物たちの服装や持っているもの、部屋にあるものでうっすらと趣味や何が気に入っているのかが分かるのも最高です。

 なぜ場違いな水筒をずっと持っているのか?と気にしていたら、しっかり伏線が回収されて一人で盛り上がりました。

 まひろさんの部屋着が黄色で統一されていて、ちさとさんがやっているSwitchはもともとまひろさんが買ったものではないのかと想像が膨らむところも最高です。個人的にはちさとさんがソファから立ち上がるとすべてのものが連鎖して崩れたのが、最後は少しずつ防げているの時間の流れを感じて楽しかったです!

 

 

 

サイン入りポスターも見られて最高ですし、まだ上映している劇場さんもあります!

ありがとうございます...!

 

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