砂と鉄

よく分からない備忘録たち

『宝石の国』で気がついたこと備忘録

宝石の国』にはまったため既刊(2022/7/23現在は11巻)全巻を購入し、読んでいます。『図説 宝石の国』も読んでいます。

読んでいる間に気がついたことの備忘録と感想です。気が向いたときに読んでいるところから書いているため、更新している内容は特に順番などはありません。

※考察ではありません。個人の感想と妄想、想像です。

※作品の内容に触れる記載があります。

※<>部分は『宝石の国』から引用しているセリフなどです。

※「?」とあるのは自分でも想像・妄想の割合が強く、あいまいな感覚から書いている部分です。

 

 

 

単行本

1巻

・25ページ

先生が体を砕いて投げることで戦うのをフォスが最初から見ているのだと気がつきました。

先生はそういう戦い方をするもの→巻数を経るごとに疑いを持つ(体が欠けたために先生の戦い方を忘れ、新しく興味を持つ)、という流れであるとすれば、親に近い導く立場の先生を疑う能力を身に着ける=子どもから大人への成長の比喩?など想像しました。

 

・29ページ

<現在を保存し未来の不意に備える>はずの博物誌を編む仕事を任されたフォスが、未来の不意になるとは…と心が抉られる気持ちです。

 

・30ページ

<その正直さが必要な仕事だ>というセリフに、承認欲求に素直であることで清濁・善悪・私欲他欲問わずに様々な欲求からフォスは変化を遂げられた(遂げてしまった)のだと感じます。

 

・46ページ

<期待も心配もされず褒められもしない仕事なんて>とフォスが言っていることで、仕事をすることで期待や心配、褒められたいのか…と思いました。(当然の欲求ですが、これらを捨て去ることができれば、精神的にまた別の道か絶望があったのかなと考えました。承認欲求を持つ方がいい・悪いとは簡単に割り切れない…ある程度なければ成長は難しくも、欲求に押しつぶされれば周囲を考慮せず一変させてしまう事態を起こす可能性もある。)

 

・103ページ

<強くなければダイヤモンドではない>というセリフに、肉体を持たず不老不死に等しい宝石たちも「生まれ持った性質」に苦しんでいるのだと思いますが、苦しませているのは月人と戦わざるを得ない状況であり、やはり状況や環境によって「集団の中で個体の価値の付与されてしまう」のは仕方がなくも窮屈で価値がないという立場にされるのは空しいと考えました。(しかし、宝石や金属に価値をつけるのは人間も行う…)

 

・158ページ

変化をどれだけ遂げようが、フォスは承認欲求などからさらなる変化と結果を求めて感情を複雑化させていくため変化には終わりがない一方で、これは人間の成長に似たものなのかもしれないと考えました。

 

 

2巻

・6ページ

先生が月人の縋る手を振り払っていると気がつきました。

 

・8ページ

機械でも夢を見る?と疑問に思いましたが、人間の祈りを再現するために、人間の思考を再現している人工知能なのかなと考えたりしました。(たとえ機械でも、「眠る(スリープ機能?)」もあるので、まあ夢も見るか? 魂の行方の観測までこの作品の人間はしていたようなので...と物語やフィーリングを優先で考えています。)

 

・13ページ

フォス以外の宝石たちがきらきら輝きながら走っていく場面で、フォスだけが孤立しているように見えてしまいます。

 

・16ページ

シンシャが頼ってくれる誰かにフォスはなりたかったのかなと思っていますが、巻数を経るごとに「シンシャは戦争や他の作業で価値を得るのではなく、周囲の誰かに受け入れてほしかった」ということが分かり辛くて好きです。

(シンシャに「歩み寄ってあげる」ことでフォスは優越感を覚えていたのでは…?と承認欲求ゆえの無邪気な残酷さが好きです。)

 

・22ページ

<空しい仕事>とは言っているが、その空しい仕事を生み出しているのは月人が襲来する環境であり、仕事ができるかでシンシャの価値を見出そうとしているのが…(必要なのは対話というか、信頼や友好な関係というか)

 

・25ページ

生きているだけで自身の好きな植物や生き物を傷つけてしまうシンシャがつらくも、かわいいと思います。(最悪すぎる私の癖が出て最悪になりました)

 

・26ページ

<おまえはおまえの責務を果たしなさい>と言ってくれているのに、フォスは「自分が自分のために何がしたいのか」ではなく「自らの不満や欲求を解消したいがゆえに、誰かにためになってあげたい」のではないかなど考えました。

 

・39ページ

<目の前のできることから始めなさい>と言われているのに、目の前の博物誌作成からは目を背け続けて目立ちそうなことから手をつけるフォスに、「基礎研究ができていないのに、ネット上や飛躍したエセ理論や信頼できない論文などを信じて研究を行う大学生か?」と思ってしまいました。(うまく言葉で説明できなかったため、例えを用いて自身の考えを言語化しています。)

 

・53ページ

<行くしかないよ>とは言うものの、その場に留まって熟考するのも大切では…?(しかし、不死であっても行くことを選択できるフォスは人間というか、変化を受容できる可能性が高いということでもあり、これを短所とは簡単に割り切れない)

 

・87ページ

アドミラビリス族をなぜ月人は利用したのかがよく分からないです。
月人では地上に降り立った途端に宝石に攻撃され、砕いた宝石を攫う以外に誘拐する手段がなかったため?(誘拐するパターンを新しくすることで、金剛にさらなる刺激を与えられると思った?)(フォスを人間にするための計画にしては、フォスが海に行くかも分からないうえに脚となるアゲートをフォスが入手するのも不確実…)(しかし、こうした不確実な要素をいくつも月人が与えていたのでは?という気もしています。)

 

・111ページ

<僕が助けるから>とフォスが言っているのはある種の優しさではあるものの、「何を」「どうして」「助ける」のか、「何のために助けるのか」という考えが不足しているのが酷だと思います。(個人的にはシンシャに必要だったのは、役割や仕事ができる価値ではなく、ただそこにいるだけでいいと思わせてくれる環境と周囲の受容だったと私は考えています。)

 

・145ページ

攻殻機動隊』で生老病死がなくなった場合、知能を持った生命体は自己破綻していくのではないか?(『スカイ・クロラ』シリーズでも、不老となり子どもとして生きていくキルドレが、徐々に自我があいまいになる、習慣づいた行動の繰り返しで意思や記憶が薄れていくという要素を思い出します。)という表現があるのですが、私はイエローダイヤモンドが3000年以上意思を抱えて生きたことで精神が不安定になっているのを見て「意思や自我、思考を持つものが、老いや死を排除された媒体で生かされ続けていくことで、数えきれない思考や思考問題を繰り返し、精神的な行き詰まりを発生させて逃げ場のない『思考の牢獄(=耐えるしかない地獄)』みたいですごく好きだ…(最悪)」となりました。

虐殺器官』でも「地獄は頭の中にある」と語った登場人物もいたことを思い出します。(そう思うと、『宝石の国』は「死ぬこともできないまま、罪に応じた責め苦を受け続ける地獄」というものを、「責め苦がなかろうと、意思や自我を抱えた存在にとっては、死という機能がないことは地獄となりうる」と表現しているのかなと勝手に想像しています。)(人間という生命体などにとっては、老いと死が不可欠であり、もしも決して壊されることがないというのはある種の地獄であり、欠陥なのかななど考えていますが、考えすぎな気がしています。)

 

・159ページ

自分のためではなく、誰かのために戦いたいというのはめちゃくちゃ怖いというか、愛の牢獄だなと思っています。(愛国心ゆえに戦うといった考えや動機づけが最近はあまり得意ではないうえ、「愛」「好き」だからこそ戦うという名目は、「どうして戦わなければならないのか」「なぜそもそも戦うのか」という疑問を覆い尽くして隠してしまうため私は怖く思います。)

 

・176ページ

耽美で美しい双晶アメシストがすごく好きなのですが、『ch-11』『暗黒館の殺人』が原因の癖だと思います。

 

 

11巻

・83ページ

戦争がなくなって穏やかな生活では、流氷割りの作業のできないシンシャにも「応援」という役割が生まれたことに、戦争がなくなり余裕ができたことで「戦い以外の価値(存在する価値、他人を受け入れるために相手に価値を見い出す余地)が生み出されたのだ」と実感します。
シンシャのかつての役割を思えばよかったと安堵をする一方で、今までシンシャを受け入れられてこなかった環境・状況を鑑みると、このうえなく残酷な誰かの認め方だとも思いました。(戦争がある状況下では、明言されなくともシンシャの価値は見出さなくともよい、価値を見出すために向き合う余力はない、とシンシャが扱われていたように感じたためです。)

 

・88~90ページ

フォスが今まで感じていたが気がつかないふりをしていた自責の念、あるいは自分へ向けられているイメージなのかとも思いますが、「自らに向けられる他者の視線を想像し、それらを受け入れずにその後『宝石を砕きたい』という他害欲求(受け入れない他者への復讐・暴力による支配)へと変化させる」点が人間らしく思えて好きです。

 

・97ページ

フォスが近づくと同時に、ムキムキが飛び出る後ろでエクメアがカンゴームを守っていて「エクメアはポーズではなく、本当に(利害や対外的なポーズのためではなく)カンゴームが好きなんだ」と嬉しくなりました。
あと一応、ムキムキに潰されたためかフォスが怯えて台から落ちているところも「強い相手に腰が引けてしまう弱さ」がフォスに出ているように思えて印象的です。

 

・105ページ

フォスの目が金剛の手元にあることで、フォスの体があちこちに散らばり、粉になりつつ、様々な物質で補われているのだと実感します。(両目が片方ずつ先生に与えられたものから欠けているのが印象的です。かつてフォスだった一部はフォスではなく、先生が持つことで本来のフォスをフォス自身は忘れても金剛は覚えているのかなと想像しています。)

 

・106ページ

頭の後ろに飛び出た合金は蓮の花(蓮華)かなと思います。

 

・109ページ

<地上の全てを破壊しなくては>というセリフは、かつて己の存在(価値)を認めなかった復讐?と想像しています。

 

・121ページ

緒の浜で宝石を拾い集めた金剛の姿が、砕いた宝石を集めた器を持っている月人に似ており、「地上の宝石を襲い、砕いて攫っていく月人」=「己の性質上、何度試行しても周囲の宝石たちを戦わせて犠牲にしてきた金剛」という立場などは違えどやっていることは一緒というモチーフ?などと想像しました。

<まだか エクメア>というセリフに、月人が金剛に祈ってもらうことで無になる

ことを望むように金剛も月人(=エクメア)に破壊してほしい(=無になる可能性を得る。機能停止を求める)願いがあったのだろうかと思います。

 

・122ページ

金剛の誕生日→のちに破壊され機械から生まれ変わる金剛の比喩?(深読みしすぎな気も…)

 

・135ページ

フォスが片足を組んでいるのは偉そう(余裕がある)だという印象と、仏像が座っている姿勢を想起させている?(フォスが人間、および金剛を破壊し変化を遂げることへの象徴?)
次のページを参考に見ました。

www.butsuzou.com

 

・136ページ

フォスが「先生のために戦いたい」から「自らの都合に悪い宝石を排除し、金剛の機能を利用したい」という目的で襲われる側から襲う側になっていて、好きな場面です。

 

・138ページ

変わらないと信じていたボルツの外見の変化にダイヤは怒りを感じた?(変化を許されず強く戦うことを求められた過去から怒っている? 変わらないと思っていたボルツが変化したことに、今までダイヤの中で作り上げてきたボルツへのイメージが違っていたかもしれない可能性に衝撃を受けている?)

 

・179ページ

月人・宝石は変化ができない?(変化ができない、意思が宿る物質に経年による変化が少ない、変化を受け入れにくい?)(肉体の老い・病・死による変化がない=成長ができない?)(経年劣化や精神の変化以外では、代謝や死・病がなく受動的な変化がむかえられない?)

 

・183ページ

<金剛と宝石>=地上(骨)?
<アドミラビス>=海(肉体)?
<君と月>=魂(月・精神)?
の影響という比喩かなと想像しました。

 

 

12巻

・80~82ページ

単行本収録版と雑誌掲載版とかなり描写が違っており、驚きました。

(雑誌掲載版では体が欠ける前のフォスの幻の姿を現在のフォス自身が見る描写が、単行本収録版では綿毛のついた植物の種子を手に取れず、踏み潰してしまう描写になっています。)

それぞれの描写は「現在のフォスが、体が一切欠ける前の自身の姿さえ認識できなくなっている」=過去の己が何を考えていたのかさえ見失ってしまっている、「過去の大切なことすら思い出せなくなっている」=過去に願っていたことすら思い出せなくなっているということを示唆しており、つまりフォスは体が欠けていく変化を遂げる間に自身が大切だと思っていた何かを失ってしまったのを表現しているのだろうかと思います。

(変化をする=人間として忘却していく機能を獲得した?とも受け取れます。)

 

・186~190ページ

ここの描写は美しくも理解がなかなかできずに詩のように読んでいたのですが、「あるときにフォス(だったもの?)が報せを受けたとき」から1万年の間一人であったが、エクメアたちが訪れたことで一人ではなくなったためフォスが一人でいたいという願望は叶えられない状況になってしまう=エクメアたちに祈ることで月人たちは無に至りフォスは再び一人になる(<解り合えましたね>というセリフにつながる)と解釈しました。

(つまり、月人たちは悟りを開くことを諦めたがフォスは悟りを開いたのか?と私は勝手に考えています。)

 

 

単行本未収録話(12巻収録分)

・第八十九話

この作品の人類は一体どこまで技術を発展させたのだろうかと思いますが、魂の観測を可能としている、おそらく物理的な破壊に対して数千年~数万年単位で耐えうる機械(金剛の兄弟機と金剛)は実現可能としていたのだろう、どういった技術だろうと想像するのが楽しいです。(金剛の兄弟機は、破棄されても水や光などのエネルギーを循環し、ある程度の機能を維持できるのかなと勝手に想像しています。)

月人が無にいくために<格差を導入>したのが最高に人間らしくて、愚かで醜く、しかし、愛おしいまでに無様でとても好きです。(私は、人間が自他の区別を行い、生存率を高める集団を維持するために、自他との差と共通点を見つける機能を獲得し、文化として導入し続けている機能だと考えています。こうした機能は格差や差別、偏見を生むと同時に、家族や血縁、民族、語族、国といった共通点に意味を付与させ、価値をつけ、共同体をはぐくむために有益な点も多いため、「人間が生命体として歪に、そして、その場を生きていくために獲得した機能」として気になっています。)(つまり、私は興味を持っています。)

金剛は、宝石が産まれたから壊れたのか、それとも偶然同時期に壊れたのか少し気になります。

金剛に対してエンマ(閻魔)が存在するのに、エクメアは仏教を思わせる出で立ちをすることがあり、救いも地獄も何か似たものなのだろうかとぼんやり考えています。

 

・第九十話

ユークレースの<僕の負け>が「対等になってやった」という気がしてしまい、フォスが過去に感じたであろう劣等感などに私は思い入れをし過ぎていると思いました。(ただし、対話を望めば叶うと思っているユークレースの考えは甘いと思います。理想ではあるのですが。)(危機に対して、すぐさま自身の考えを改めて行動に移すユークレースは誰かを指揮する立場にいるものの姿としてはかっこいいなと思います。)

フォスが<僕が必要?>と尋ねて返事を聞いたうえでユークレースを破壊する場面が好きすぎて、笑顔になりました。

<僕は誰も要らないんだよね>は、もう誰からの評価も、価値づけられることも求めておらず、正反対に誰かを破壊して踏みにじることで自らの欲求を満たしているのでは?など考えました。

パパラチアを見続けて振り向きもしないルチルが破壊される場面は、あまりにも酷でむごくてぞわぞわして最高です。(恐ろしければ恐ろしいほどに脳内麻薬が出るので…)

 

・第九十一話

かつて自壊しようとしたフォスを殴って砕くことで助けたジェードが、フォスを倒すために同じ場所を殴ったのは何百年も前のことをジェードはしっかり覚えていた、そして、殴ってしまったことを悔やんでいるのではないかと思いました。

ジェードが砕かれ、破壊される様が美しくもおぞましくて最高です。頭部の上部分だけがずり落ちてしまうところで、現実の非情さがよく表れている気がしてとても好きです。

<わかる? 何を? いまさら>と言うフォスに、いまさらと改めて思うのは、過去にわかってもらいたかった、わかってもらえていればこうした選択をしていなかったとフォスが感じているのではとつい考えてしまいます。

 

・第九十二話

シンシャとフォスの問答で、<無様で 哀れだな>というフォスにまっすぐ答えるシンシャが美しく、優しくも強かな姿をしていてとても好きです。(戦争があった時期には水銀のせいで遠巻きにされていたのが、戦争がなくなって余裕ができてからようやく他の宝石と打ち解けられ、仲良くなれたという残酷な事実をシンシャはしっかり理解して受け止めており、自らを状況が変わったことで都合よく受け入れた他の宝石たちを知っていたのだろうと寂しくもなります。)(そもそもフォスたちが月へ行ってから、シンシャは「水銀による戦い方は味方へのリスクも伴うが、人数が減った地上では有力な戦力」として重宝されているんだよな…)

フォスが硬度三であることで疎まれ続け、扱いに戸惑っていた周囲に散々言われたことをシンシャには言わなかったのに、ここに来て真正面から<最低の硬度二>とフォスが言うのはシンシャを見下し、友好や親愛を求めて、尊敬し、対等であったはずの以前の関係がすべて崩れ、今のフォスはシンシャを見下し、進む道を邪魔をする宝石の一つになってしまったのだと実感し、好きです。

シンシャの四肢が欠けながらも水銀で戦う姿が美しくも、これ以上は砕かないでほしいとも思いました。

 

・第九十三話

宝石たちがフォスに砕かれて意思を失う前(または対峙したとき)に、しっかり向き合って言葉を残しているのは「死ぬという概念は遠い代わりに、誰かの手で組み立てられなければ二度と戻れない」ために意識を失う恐怖よりも、誰からも組み立てられずに意識を取り戻すことがなかったとしても後悔したくない思いが強く、言葉を残しているのだろうかと考えました。

シンシャは<みんなと仲良くできた>ことに感謝を述べているため、本当は誰かに役立つ仕事や価値ではなく、ただ単に周りの宝石たち(または島の生物たち)と仲良くなりたかったんだと言葉にされて、今までのフォスの空回りと思い違い、擦れ違いに笑顔になりました。(擦れ違いがとても好きなため。)

あとシンシャはたとえフォスがしてきたことが自身の願いとは擦れ違っていても、かつての約束をしっかり覚えており、ありがとうと伝えられるのがすごく徳が高い…と、本当に好きな場面です。

シンシャを壊してから<僕は何をしているんだ>と己の行動を見つめ直せるようになるのは、ユークレースの対話やジェードの謝罪ではなく、シンシャの親愛(感謝)なのか…と悲しくも、ここで怒りを薄れさせて己に罪悪感や後悔を抱いてしまいそうなフォスが哀れで辛くなります。(怒りで我を忘れているときもですが、怒りゆえに己がしでかした罪に向き合わざるを得ない瞬間も辛いと私は考えています。)

シンシャとの約束がきっかけで月にまで行ったフォスが、約束のことを忘れているのは寂しくなりますが、空しくて好きな場面です。

水銀で欠けた部分が補われ、ぼろぼろになった服と合金、鉱物がまるで傷ついた肉体のようでとても尊い場面だと思いました。(キリストがぼろぼろの状態で歩かされるのをなぜか想起しました。)

過去の自身の姿さえ誰かも分からないフォスは「人間」として生まれ変わったのか…(<かわいいね>と思っているのは、かつての自身をまるで子どものように見ていて、懐かしんでいるのか…いや、疑問抜きにフォスはかわいい~~~!!!かわいいです。)

フォスの髪の毛にタンポポみたいな綿毛がついていて、「人間に育つ種」みたいな比喩?と思いました。

先生に会う前の光の表現が、「誕生」の比喩みたいに思えて…

フォスの仕事は博物誌作成だったのに、強引に祈らせる仕事にまで成り果てており辛くなりました。(相手が意にそぐわないからと<壊れろ>と願うのも…)

 

・第九十四話

<仕事の終わりを告げてくれる人間をずっと待っていた>で、「フォスが人間として認められた。よかった~!産まれた、おめでとう!」という気持ちと「金剛もようやく終わりを迎えられてよかった~~」という情緒がぐしゃぐしゃになった感想が出力されました。

この作品で<幸福>または幸せに近い概念や言葉が出てくる場面があまりないと思っていましたが、意図的に排除されてきた言葉がここで出てきたとするならばすごすぎる…と感動しました。

エクメアの行動も、自発的にフォスが<幸福がほしい>と思うためなのではとなり、エクメア~~という気持ちと、私がエクメアの立場なら同じことをしたなという諦めがあります。

みんなを戻そうとしたときには、既に誰もいない静けさと後悔するしかない残された時間を思うと、素晴らしい…答えのない思考の無限地獄のようだ…と感じます。(地獄や苦しみの表現が突き詰められている作品が好きです。)

フォスが都市を破壊される場面を見て、金剛と同様の感情を覚えているのだろうかと想像し、その苦しみは辛くも、人間らしくなったゆえの苦しみなのだろうかと考えますが、ここまで急激に苦しませなくても…いや、失望と絶望は徹底的に描きたい作者を信じます…と思考がぐちゃぐちゃです。

ただ、フォスが苦しむ目前の海は凪ぎ、空は晴れ渡っているのが「地獄は思考の中にあるのだ」と突きつけられているようで本当に好きです。