砂と鉄

よく分からない備忘録たち

インファナル・アフェアシリーズの考察と感想

インファナル・アフェアシリーズの考察と感想です。

インファナル・アフェアシリーズを改めて見直したところ、
「すごすぎる…」となったので感想です。
あと少しだけ真面目にいろいろと考えてみます。

 

〈注意点〉

・すべて個人の感想(想像)です。

・記憶による箇所が多いです。

 

※過去の個人サイトに掲載していた内容を転載しています。

※2022/8に『インファナル・アフェア』シリーズを再鑑賞したため、追記した部分があります。

 

 

 

 

 

感想

 

シリーズ一作目の『インファナル・アフェア』の感想

シリーズ一作目の『インファナル・アフェア』の感想です。

実は、DVDで最初に見たときは「アクションがない(レンタルしたお店で、なぜかアクションコーナーに置いてあったため)」「難しい…」と思いつつも、面白いと感じました。
その後に劇場でもう一度見たときも、「面白いけど、そんなにかな…(わたしの好みに合致はしない)」と思っていました。
しかし、劇場で三度目となる鑑賞をした際、「面白過ぎる! 演出、物語、すべてがうますぎる! これ一つでも完結するうえに、前後日談までを含んだシリーズとしても成り立つ構成がすごい! 出てくる方々全員の顔がいい!」と感動しました。数年の間で、作品を見る解像度が上がっていたようです。

とにかく、物語の演出と情報の提示がうまいと思いました。
物語を展開しつつ、人物の立ち位置や関係を把握を観客にさせていくのは難しいと思うのですが、この作品は飽きない展開をさせつつ、作品の理解のための情報をバランスよく表していると思いました。
映像表現も見事で、過去からの出来事や現在の表現と分かりやすく、どの立場の人から見た情報・場面なのかもとても分かりやすいです。
物語の主軸となるタイトルや罪も、最後にわたるまで作品のテーマとして表現されているのもうまいと思います。啓蒙的ではなく、妙に人情味を出して胡散臭くなってしまうわけでもなく、寂しさや亡くなってしまう人々にどことない空虚を感じさせつつも、人や人との関係性の複雑な模様や因果に思いをはせてしまう…そういった余韻まで持たせていて感動しました。
(三度目の鑑賞のときは、「推しの顔がいい! 全員かっこいい!」もあって最高でした。それまでの鑑賞のときは、あまり出てくる方々に詳しくなかったので…)

考察する箇所は特にないほど、物語として完成されている…と思います。

 

 

インファナル・アフェア 無間序曲(2)』の感想

インファナル・アフェア 無間序曲(2)』の感想です。
(2)は正式な名称ではないですが、わたしが分かりやすくするためにつけています。

こちらは前作の過去に何があったのかという話ですが、とても複雑だと個人的には思っています。
人が三人以上出てくると「むずかしい…」と言ってしまうので、以下は個人の備忘録を兼ねたものです。

 

ラウ 黒社会の手下として警察に潜入する前~潜入後の話が描かれている。
警察へ潜入する前にクワンを殺害。
マリー

ウォン警視によって、クワンの殺害を教唆され、ラウへと殺害を頼んだ。

(作中で頼んだ場面が明確にされていないため、どのような経緯とやり取りで殺害に至ったのか詳細は不明。サムのためになると踏んで、ウォン警視の話に乗って、クワンの殺害を企みラウに手を下すように頼んだと考えられる?)

ウォン警視 マリーにクワンの殺害を教唆。
(理由は黒社会の撲滅のため。黒社会を外部から介入するために、マリーにクワン殺害をすすめ、黒社会に対して意図的に内部抗争や組織編成といった変化をわざと起こさせ、介入できる余地や逮捕の隙を得たかった…といったところでしょうか。)
ヤン 母の姓を名乗っているが、クワンの子どもである。
ハウとは異母兄弟。
黒社会の血縁者のために、警察学校を中退。
(表向きにはそうなっている模様。潜入捜査官として黒社会に入るが、その立場が警察内部ではどのように扱われていたかは不明。ヤンに関する書類やデータが警察署内にあったらしい一方で、書類やデータがなければ警察官として証明できないことが「インファナル・アフェア」でラウがヤンのデータを削除する場面から窺えます。)
ハウ 父であるクワンが殺害された後、跡を継いで黒社会を率いる。
物語の中盤から後半にかけては、自身は黒社会を退くと娘の誕生日パーティーの場面で宣言した後に組織の幹部を騙して手をかけていく。
(手下の中でもサムだけをタイへ行かせたのは、最もサムがうまく立ち回っていると評価したうえで、確実に手を下すために味方や護衛がつけにくくなるタイへと赴かせたと考えるのが妥当でしょうか。)
ハウの罪を証言するサムを脅すも、サムの計略により逆に人質を取られた結果、サム本人に銃口を向けたことでウォン警視によって銃殺される。
サム ハウの計略から生き延び、黒社会のトップとして香港へと戻る。
マリーの死の原因(ウォン警視にクワンの殺人を教唆され、ハウにより報復で殺される)を知っているのか、『インファナル・アフェア』ではウォン警視との関係性は決していいものではない。
(サムがマリーとウォン警視の関係を知っているのか不明だと思いました…もう少ししっかりと見れば、分かる描写があったかもしれません。)
ルク警視とロ・ガイ ルク警視とウォン警視は昔馴染みの同僚らしいと作中では窺える。
ウォン警視とは別に、ルク警視が潜入捜査官としてハウの手元に送っていた部下が、ロ・ガイである。
作中ではルク警視がロ・ガイの立場が明かす場面と墓参りの場面で、ロ・ガイが潜入捜査官だと判明する。

 

以上がだいたいの人間関係ですが、複雑です…
しかし、これほど複雑な関係も、映画を鑑賞すればおおよそは分かってしまうのがすごいです。(分かりにくい箇所があるのは、前作を見て補完する箇所のためだと思います。)
前作で感じた絶望感が、この作品で作中の過去を知って、「過去からこんなに因果があるのか…」とさらに悲痛な気持ちになります。

しかし、やはり巧みな物語の展開と映像表現で、「誰が何をした」「誰がどこにいる」「誰かによって、これが引き起こされている」とすぐ分かるので、本当に作品として見事だと思います。

この作品も、人物の関係と物語の展開は作中で描かれる通りだと感じているので、特に考察する余地はないと思います。

 

 

 

インファナル・アフェアIII 終極無間』の感想

インファナル・アフェアIII 終極無間』の感想です。

これが最もシリーズの中で、理解するのが難しいと思っています。
ただ、雰囲気としてはとても好きで、薄暗く不穏な雰囲気が漂っていて一番シリーズの中で好みかもしれません。

なぜ、シリーズの中でこの作品が難解だと感じたのか、軽く考えてみます。

 

・作中時系列が分かりにくい

前作の二作品は、あえて作中時系列を乱すことはほとんどやっていないようです。
過去にこういうことがあったと示す場面は入りますが、明確に「どういった人物がいる」「どういった時期」かと示されるのと、大きく過去が前後することはない…と私は感じました。(よく見たら、やっているかもしれません。)
しかし、3だけは「〇〇〇〇年」といった時間を示す文言や、「~が~する〇前」などで時期が明示され、かなり時系列が入り乱れていることが分かります。(前作では、こういった時間を示さなくとも、ある程度は時系列の判別・推測できる範囲でやっていたとなります。)

 

・前作と異なり、なぜ作中時系列が分かりにくいのか

これは意図された演出だと私は考えています。
3の結末で窺えますが、この話はラウの主観によるところが大きいと窺えます。(亡くなったはずのウォン警視やヤンが見える、ヤンと同じ経験をしているかのような描写などです。)
ここから、乱れた時系列の描写について個人的には以下のように想像しています。
「3はラウが調査した判明していった事実を、『映画』として描写している。そのため、事実は作中時系列に並ぶのではなく、『ラウが知った順番に並んでいる』」
というものです。
正直、なぜこういった時系列で描かれるのか私が理解しきれなかったため、こういった想像になりました。

もう一つ、過去に想像していたのは「3はラウの主観によって描写しているため、分裂したヤンを装う人格などが生まれていくラウの精神の過程の乱れが反映されている」というものです。
どちらかは断定できませんが、物語がどうなっていくのかと観客の興味を惹きつつ、何が真実なのかと乱されていき、人格が分裂(こう表現していいのかは不明ですが)してしまったラウの結末までをも見事に表現していると思います。

 

・序盤のコップが割れる場面の意図は?

庶務課にいるラウがテーブルから落としたコップが割れたのち、割れていないコップが映るという場面です。
これはどういうことが示唆されているのかと、次の点を考えてみました。
・ラウが現実の出来事を正しく認識できていない。

・作中で起こった事実と映されて観客が見ている物語の時系列に齟齬がある。(ラウが作中で起こしたこと:コップが割れていない→コップを割るという順序、観客が見た映画で映されること:コップを割る→コップが割れていない順序、といった違いがあるということです。)

・ラウがしたことと、ラウが生み出した別の人格がしたことで、人格(主観の認識)によって認識が違っている。(コップを割ったことをラウが「割った」と認識しても、別の人格は「割っていない」と認識している。)

・ラウの人格が不安定であり、現実への認識や起こした行動の理解があいまいになっている。
といった示唆かな…と思います。
ただ、かなり序盤の場面のため少しメタ的な視点から、個人的には以下のようにも考えています。

・ラウが認識していること、映像で表現されることが、前作の二作とは異なり、「正しくないかもしれない」という説明・導入・示唆。

・二作のサスペンス(推理、捜査の側面)が強い作品から、「ラウの人格(精神)が不安定である」という要素が入ったことを示唆する表現。
と思っています。
特に、この場面については特別に説明もないうえ、後の場面で伏線が回収されているわけでもないので以上のように考えました。

 

・なぜラウはヤンのカルテを見たのか

おそらくの推測で、考察でもないのですが、想像したことをまとめてみます。

・ヤンが精神的な問題を抱えて病院で治療を行っていたことを知り、ラウに関する情報が治療の過程で誰かに知られていないかを探るため。

・ラウがヤン(善人として生きる人物? または、似た境遇で成り変わりたいと思っていた相手)に憧れていくうちに、分裂する人格に必要な情報として欲していた。(ラウが自身の精神を守るために、ヤンの情報を求めていた。)
といったことが、理由として考えてみました。
ラウ自身にとっても、最初は保身のための調査が、分裂した人格によって保身の手段から善人になりたい目的や願望へとなっていたのかもしれません。

 

・いつ頃から、ラウの人格は分裂していたのか

上記でも、「人格が分裂」「人格が不安定」と表記していますが、私の知識が正しくないので不適切な使い方かもしれません。この文章での意味としては、「ラウ本人が、自身を『ラウ』と認識せずに他の人物として振舞うようになった」といったことです。
これもかなり作中時系列が曖昧ですが、以下の点はそうかもしれないと窺えます。

・ヤンとともにラウが治療を受けている場面。(ラウがヤンのカルテの記録を追ったことで、ラウがヤンの経験と自身の経験を同一化しているのかもしれませんが…。)

・ラウが事故を起こして、病院にいる場面。(ここは、まだ幻覚のヤンとウォン警視を見ていただけで、ラウ本人の中で同一化をしてはいないかもしれません。)

・「ラウ・キンミン」を逮捕するとラウが言った最後の場面。

こうしてみると、作中の中では以下のような流れがあるのかと思いました。

・ラウが事件を調査していくごとに、自身もサムの手下として消されるかもしれないという恐怖が生まれる。(『インファナル・アフェア』の終わりから?)

・ラウが銃殺したラム刑事(林國平)以外も「自分(ラウ)がサムの手下だと気づかれるかもしれない」と恐れ、ラウが警察内部にいたサムの手下を排除したが、その出来事を自分がやったと認識が薄れ「自分(ラウ)も殺される・排除されるかもしれない」と懸念を抱いていく。

・ヤンへの憧れと所属している組織を裏切っている境遇が近いこともあり、「自身がヤンであったら」という感情がラウに生まれる。(3で進める事件の調査中?)

・ラウは次第に、ヤンやウォン警視の幻覚を見るようになる。(事故後の病院の場面)

・ヤンが最後にリー医師に告げていた「明日が過ぎれば無事だ」という言葉を使いはじめ、ヤンになりたいと自身がヤンだと思い込み始める。

・ラウがヤンとの境界が曖昧になり、他人(ヨン)をラウとして認識し、自らをヤンとして認識するようになる。(最後の警察署の場面)

このあたりは、あまり回数を見ていないので難しいです…

 

・最後のラウとマリーの場面の意味は?

ここは見た方の数だけ解釈があると思うので、個人の感想です。
既に2で亡くなっているマリーは、ラウがきっかけで命を落としているのですが、「過去の因縁からは逃げられない」ということかと思っています。
婚約していたマリーとラウとの子どもは、ラウにとっては過去の因縁であり、どう足掻いても「ラウの子ども(自分には子どもがいる)」という事実からは逃れられません。
そして、ヤンになりたいとラウがどれほど望んで誰かに信号を送ろうとも、そういった過去にラウ自身が作り上げた因果はラウから離れず、「ラウが生み出した人格のヤンではないラウ」をマリーが銃を向けて撃っているといった表現となったのかなと思います。
すなわち、あの場面でマリーが撃っているのは「ラウが現実逃避をした結果ヤンとして振舞うようになった人格」であり、「ラウはラウ自身と過去や因果からは決して逃れられない。しかし、ラウは逃れ続けようとしている。」ということを表現している…と思いました。

また、ラウに会いに来たマリーに向かってラウは「来たか」と言っているようにも見えましたが、背後にいるように見えたマリーに「(因果からは逃れられず、過去の因縁が)来たか」の意味でもあるのかな…と勝手に想像しています。

この逃れられないものから延々と逃れ続けようとしているラウの姿は、作品のテーマとして現される「無間地獄」につながっているのかもしれないと考えました。

このあたりは何度考えてみても、「うーん…」と迷っているので「こういう解釈です」といったどなたかの意見があればぜひお聞きしたいです。(他人頼り…)

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