映画『クローゼット』の感想と考察です。
ほぼ感想です。
続きは作品の内容に触れていますので、お気をつけください。
公開された当時の宣伝です。
かっこいいです…!
「塚口サンサン劇場」さんで上映されていたときの宣伝です。
嬉しかったので撮らせていただきました。
《感想》
物語が最高!
親子の不仲から悪霊による事件から、悪霊に対して退魔師という対抗できる存在が出てきたうえで予想以上の悪霊の力にどう対抗するのか、という見事に親子関係から悪霊、過去の事件にまで情報を広げて作品を描ききるのが最高でした。
物語の盛り場と落ちるところ(主人公たちが不利になるところ)の落差や緩急のつけかたが本当に最高で、好きです!
ときどき息抜きで面白い場面や演技もあるのですが、ホラーやサスペンス要素がある作品の雰囲気を壊さない絶妙なラインでかっこいい演出なのも最高です!
親子関係・幼児虐待が作品の根幹あるテーマかなと思うのですが、物語を妨げないように匂わせる範囲で鑑賞者に衝撃を残すようにかなりしっかりと親子の不和・幼児への虐待(虐げられている子どもの姿)を描いているのもすごいです。
幼児虐待への問題提起をしつつも、あくまでも物語を主導するテーマとは近づけすぎずに描き、メインの感情移入を「親子関係の不和・幼児虐待」ではなく、「親子関係の不和が原因の事件の解決」にまで導く手腕がしっかりしていて、見ていて安心感がありました。
衣装がすごい
主人公の家で着る服が、微妙に毛羽立ったカーディガンだったり、外に出る衣服が明らかに機能性重視のジャンパーだったり、衣装に対するこだわりが最高で何回見ても楽しいです!
かっこいいのと、登場人物の個性を両立させている衣装に感動しています...!
ホ室長の電気会社(?)の変装のときの、眼鏡のかけ方・直し方などもとても細かい演技をされていて最高です!
また、退魔師や霊能力者といった印象を新しくするような一面や砕けた様子をのぞかせるホ室長のキャラクターも新鮮でとても好きです。
現代の退魔師や霊能力者といった形で、時代に合わせて様々なことを最新化している人たちなのだなと分かるのも好きです。
演技や演出が最高
細かな部屋や持ち物に至るまで、登場人物や世界をうまく表していて、映画を見るだけで登場人物たちの性格や趣味が伝わってくるようでした。
映画への没入感があり、本当に最後の終わり方が一層魅力的に映ります。
続編がありそうなのか、少し不穏な終わり方も「根源となった子どもへの虐待の問題自体は解決していない」と表しているようで好きです。ホラーの要素もある映画なので、こうした影がある終わりの方が、万事解決する終わりよりも妙に勘ぐってしまわずにいいなと勝手に思っています。
個人的には、サンウォンさんが異界に向かう終盤でホ室長と話す場面があるのですが、異界に向かうためにクローゼットのある部屋に行くサンウォンさんの後で笑顔と真剣な顔をみせるホ室長の演技あたりが最高で好きです…!
怖い
ホラー・サスペンス・ファンタジー映画でも、しっかり怖いです!
ホラー映画が好きなので、個人的にはとても嬉しいです。
音や演出で驚かしてくる場面もあり、動物が亡くなる場面や流血する場面もあるので、ホラーやこうした表現が苦手な方にとってはおすすめしにくいですが…
《考察》
二組の親子関係
この作品には親子がたくさん出てきますが、特に個人的に印象的だったのは「ホ室長と彼の母親」「ミョンジンと彼女の母親」です。
この親子関係は対比関係にあるのかと思ったので、まとめてみます。
・母親の死因
「ミョンジン」
アジア通貨危機の際、おそらく多額の借金を背負うか資金のやり繰りができなくなった父親の手によって亡くなっている。
「ホ室長」
ホ室長が(おそらく)子どものときに、退魔の最中に命を落とす。
→どちらも、目の前で親を喪うという過去があります。
・助けにくる対象
「ミョンジン」
ホ室長の降霊によってではあるものの、ミョンジンの前に母親が姿を表し、その後にミョンジンと母親が二人でいる姿が映し出されており、ミョンジンの助けに母親がなったと読み取れる。(そして、悪霊としての力を弱めるきっかけは母親であるため、ミョンジンが探して求めていた相手でもある)
「ホ室長」
悪霊たちが異界からせまりくる勢いに押されていた際、母親の声から降霊させて対抗手段とする。
ここから、母親はあのクローゼットに残り(残留意識でしょうか? とにかく、命を喪っても誰かを守ろうと魂といった概念として残っていた感覚です。)、ミョンジンたち怨霊から誰かを守ろうとしていたと推測できる。
その力(助言)を借りて、ホ室長はミョンジンたちを倒すのではなく、癒やすという手段により、対抗できている。
→どちらの母親も、子どもの助けとなっており、子どもにとっても頼りになる象徴的な相手であったのではないかとも推測できる。
こうした二組の親子が救ったのが、主人公であるサンウォンとイナの親子であったというのは「過去に子どもを救えなかった親子が、同じ道をたどらせないために別の親子を救う」物語であったのかと考えてみて、演出や物語の導線がすごいなと思いました。
また、父親は母親とは違って、比較的子どもを虐げる・邪魔と扱ってしまっている立場にあるのも象徴的で興味深かったです。
理想と個人の考えとしては、性差で親である誰かの役割を決める・偏らせるべきではなく人としての好みや得意な分野で役割分担を行えるといいなと思っています。
しかし、一旦そういった社会的な立場や性差を置いておき、「物語における親子の象徴」としておもしろい描写でした。
イナの母親も事故の際に「イナを守って」というセリフを言っています。ミョンジンとホ室長の母親も同様に、「子どもを守る・助ける(子どもから守ってくれると思える対象)」という役割を物語において担っています。
一方で、ミョンジンの父親は無理心中を図り、サンウォンもイナを仕事においては邪魔だとして扱ってしまうことでイナが行方不明になる事件が起こります。
こうした対比は鑑賞者に対して「比較的父親は子どもにとって恐怖(虐げる・愛されない)対象であり、母親は子どもにとって守ってくれる・頼りになる対象」と象徴的に配置することで、物語で「父親は物語で障害(落ち目)となる対象、母親は物語で守護(上昇)となる対象」→「父親は子どもが大切だと自覚し、子どもも父親を頼る」筋を持つと認識しやすくさせて、物語を読み取ることへの負担を減らして、見やすい映画を作っているのでは…? と思いました。
すべて妄想ですが…
物語での一連の事件の時系列はどうなっている?
これは何度か見てようやく理解できた気がするので、備忘録と思考の整理のために書いてみます。
主にミョンジンの父親のあたりを理解するのがむずかしかったので…
記憶頼りにまとめているため、年代や時代背景が間違っているかもしれません。
1988年 | ミョンジンが行方不明になる。(捜索されている) |
---|---|
1999年 | ホ室長の母親が除霊の際に亡くなる。 |
時期不明 | ミョンジンの父親が人里から離れて山で暮らすようになる。 |
他の行方不明の子どもたちの事件が発生。 | |
2019年 | イナが行方不明となる。 |
個人的に気になるのは、「ミョンジンの父親が本当にしたことは何か?」です。
ミョンジンの父親は「娘が行方不明になったのち、娘を探して妻も行方不明になった」と作中で語っています。
これは娘を捜索するためのビラなどが作られていたこと、不動産の人が「娘がいなくなった」といった認識をしていることから、公には「ミョンジンの父親は妻子が行方不明となった後、それが原因で山に住むようになった」と見られているようです。
ここで気になるのは次の点です。
・ミョンジンの記憶では、父親が妻とミョンジンに手をかけて無理心中を図った。
・無理心中の記憶に対して、ミョンジンは「行方不明となった子ども」となっている。
ここから、ミョンジンの父親が行ったことを推測していきます。
・無理心中を図り、妻を殺害後に練炭での自殺を図る。
↓
・自殺が失敗し、娘がクローゼットから消えていることに気がつく。
(ミョンジンはこの時点で亡くなっており、怨霊となったと考えられる。)
↓
・父親は娘がどこかへ逃げたと考えた、もしくは無理心中を後悔してか娘を捜索する。
(妻を殺害したことは隠して、娘の捜索をしたと考えるのが作中の情報から考えられる気がしています。)
(娘が消えたにもかかわらず捜索をしないと無理心中を図り、妻を殺害したと疑われると考えたとも推測できる。)
↓
・怨霊となったミョンジンから逃げるため、父親は山で住むようになる。
(ミョンジンは亡くなったクローゼットから基本的には動けない? そのため、距離を取った場所で暮らしていたと考えられる。しかし、媒体があれば移動ができるのかミョンジンの持っていた人形に父親は怯えている。もしかすると、父親が子どもへの罪悪感やミョンジンへの意識を持つことで、ミョンジンは父親のもとへと影響を及ぼせたのかもしれないと妄想して作品を見ています。)
↓
・表向きには、「妻子が行方不明になった後、山で住むようになった」とミョンジンの父親は見られるようになった。
といった流れだと個人的に思っています。
この部分に関してはわたしの理解が追いついていない気もしていますが…